「坂の上の雲」、お正月に友人は一気に見たそうで、お正月、私には退屈な番組が多かったので、それは良かったなと思ってしまいました。
日露戦争とか、歴史なのでどうなったかはわかるんですが、細かい部分はネタバレになるので友人とは話さないでいたんですね。
やっと解禁。
そこで、「坂の上の雲」の最終回を見た後に、ちょっと書いてなかったことやら補足的に触れてみたいと思います。

まず、交響曲で展開する海戦は、映画並みにすごかった。
黒い煙を上げ、燃えているバルチック艦隊を映した空撮もすごかった。
あんまり意味のないCGとか、3Dとか、今なんでこの映画で3D?みたいなのありますが、この海戦と三笠を見て、CGはこういう風に使うんだ!この為にあるんだ!と思いましたもん。

グイーンという音で、大砲がバルチック艦隊に向くのとか、すごい臨場感。
前に書かなかったんですが、「日本海海戦」の前の回、「敵艦見ゆ」で真之が「天気晴朗なれども」と書いた時、テーマ曲が流れるのも良かった。
このドラマは、こういう演出もうまかったと思います。

司令官の苦悩も、ありました。
東郷さんはどっしり構えてましたが、乃木さんとか、真之とかは胃潰瘍になりそうですもん。
あれですね、直接試合している選手も大変だけど、ベンチにいる監督が胃痛になりそうなあんな感じ。

乃木さんは203高地の戦場跡を歩いて、悟ったようになっている。
真之は自分の立てた作戦で大勝利したのに、衝撃を受けてしまう。
2人とも自分が築いた遺体の山というものに、心をひどく痛めている。

児玉さんとか、好古は踏みとどまっている。
乃木さんと児玉さん、好古と真之と、陸海軍で対照的な2人がいたんですね。
いや、でも児玉さんはこの後、燃え尽きたように急死してしまうので、やっぱり相当神経使ってたんじゃないかと思います。

好古兄さんは、これは私が勝手に考えたんですけど、武勲をたてた軍人としては意外にも地方の校長先生になっている。
やっぱり戦場で多くの人が死ぬのを見て来た人には、そうではない人にはわからない何かを背負うんだろうなと思いました。
その背負ったものが軍人として安泰な余生を送らせないのではないか、と。

これもまた勝手に思ったんですが、お馬さんが側にいるのも、お兄さんの精神には良かったんじゃないですか。
校長先生になっても、馬に乗ってましたね。
しかし、あの晩年の老けメイクはすごかった。

「皇国の興廃」の「一戦」の指導者に、武士がいてよかったなあとも思いました。
乃木さんとか、児玉さんとか、あの年代の人は武士なんですよね。
真之はバルチック艦隊が来るか来ないかでイライラしちゃうし、ロシア側の白旗を見て武士の情けです!攻撃をやめてください!とか言っちゃう。
それに対して東郷さんは「来る言うから来るんじゃろう」と言い、「まだ前進してるし、砲門がこっちに向いておる!」と、どっしり構える。

この辺りが、武士たるところ、司令官たるところだと思ってしまいましたね。
もう、幕末を越えてきた人は修羅場の数と度数が違う。
明治の人だって自分から考えたらすごい精神力だし、厳しさがあると思うんですが、その明治の人を「明治生まれは肝っ玉が据わってなくていかん」ぐらいに扱っちゃってるんじゃないかなと思いました。

「撃ち方やめー!」の号令が来た時、水兵さんたちの顔がパアッと明るくなったのも好きです。
「勝った?!」って感じ。
全員が本当に一丸となってしていたので。
伝令も、狙いをつけて撃っている水兵さんも、みんな一つになっていたので、良かったねと言いたくなりました。

連合艦隊、大勝利の号外を手に泣き出す季子さんも、良かった。
「真之さん、大勝利!」とかけてくる多美さんも良い。
まず「淳は生きておるかね?」と、病床から気遣う母親にもジーンと来ました。
真之を取り巻く家族を、一部から丁寧に描いてきたかいがあります。

ポーツマス条約に向かう小村寿太郎に、伊藤博文が小村に「君が帰朝の折りは、例え誰1人出迎えの者なくとも、余だけは必ず小村くんを迎えに来る」と言うのも、良いシーンでした。
伊藤は、小村の持ってくる結果をわかっているみたいなんですね。
賠償金も取れずに帰国することを。
世界における、日本の地位を。

鍵はルーズベルト、もはやアメリカだと。
それで実際、小村をたった1人、握手で迎えるのが伊藤さんにグッと来ました。
竹中さん、加藤剛さんの短い、セリフもない、しかし印象的な見応えあるシーンでした。

そして律さん。
子規の家に真之が訪ねてきて、会わずに戻っていく。
真之の後姿を母親が「淳さん?」と疑問に思って、律に言うと、律は一瞬、我を忘れたように走っていく。
結局、会えなかった律は「淳さんなら軍艦に乗っておいでじゃけえ」と答える。

真之は連合艦隊の軍人さんで、日本を救った英雄、季子という妻もいる。
自分たちには、もう縁がない立派な軍人さん。
もう遠い、永遠の想い人と自分に言い聞かせるような律の言葉。
静かな律と母親2人の生活、律の秘めていく恋心と別れを感じさせての幕切れでした。

映画「二百三高地」では乃木さんが明治天皇の前で、号泣しましたが、その謁見前、児玉さんと乃木さんが会うシーンがドラマにはありました。
「その格好で陛下に拝謁するのは、いかがなものか」と言う児玉さん。
あの格好が乃木さんとしては、自分が見て来た大勢の死者への礼儀なんだろうなあと思いました。
その児玉さんが「これからどうなるのか」と言う。

まるで、「これから日本はどうなっていくのか」という、不安な予感にも思えました。
すると、乃木さんは「何ひとつ変わりゃせん」と言う。
ポーツマス条約に見えるように、日本の世界における地位が、変わるわけではないというのか。

まだまだ日本は未熟で、日本人は未熟だというのか。
それとも、明治と言う楽天的な時代の日本がどんどん前に進んでいくことは、変わらないというのか。
同じように好古も共に戦争を超えてきた真之に、「この先、一体どうなるじゃろうな。お前にもわからんか」と言っている。

それに対して真之は、「急がねば、一雨来るかもしれんぞね」と答えている。
単なる天気の話か。
それとも、勝ち戦で高揚した日本にやがて訪れる暗い時代を暗示しているのか。
この辺りのシーンが、アメリカの影が、その後の日本を知る私たちに余韻を与えていますね。

奉天の夢を見ながら「馬ひけい。行くぞ、奉天へ」と言う好古。
「あなた、馬から落ちちゃいけませんよ」と、多美さんが言う。
おそらく多美さんは、生涯、このやんちゃ坊主みたいなだんなさんを笑って支えていたんだろうなと思わせるシーンです。
好古が息を引き取って、明治と言う、苦しいけれど輝く青年の時代が終わる。

見て、3年間見続けて良かったと思いました。
こういうドラマができて良かった。
司馬遼太郎さんがこのドラマ化には難色を示していたらしいですが、それはやっぱり難しいからだと思うんです。
戦意高揚、戦争肯定。

そしてナショナリズムに走ったドラマになる恐れがあるからと危惧したんだと予測がつきますが、このドラマはそうはなっていなかったです。
かといって、この時代の日本の進む道を否定もしていなかった。
現代の価値観で、描かなかった。
明治の日本がいかにして坂を駆け上がって行ったかを、高揚感を持って描いていた。

実に上手いバランスで、そういうところを描けていたと思うんです。
この時代の歴史とか、人物とか、ほとんど語られないんですが、やっぱりこれだけ必死になって戦った時代と、その指導者たちを知らないというのはどうなのかと。
そんな風に、明治と言う時代の日本、その時の世界を考えるきっかけになりました。

あー、これ、本当に1年間かけて、大河ドラマで見たかった。
もっともっと、映像化したシーンを見たかった。
最終回でも日本の四季を美しく表した映像が映されましたが、こういう美しい日本もずいぶん出ていました。
セリフにないものを感じさせる演出、俳優さんたちの、見応えあるドラマでした。

石坂浩二さんたち、60代から上の俳優さんたちは3年あるのでみんながんばろうねと言い合っていたそうです。
3年間、青年時代からずっと、容貌も含めてしっかり演じた俳優さんたちも、お疲れ様でした。
私はおそらく、何度も見直すドラマだと思います。


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2012.01.07 / Top↑
3年間、見続けて終わりました。
終わった瞬間、気が抜けました。
来年からはないんだなあ、と。

3年間って、いろんなことがあると改めて知りました。
自分にも、世の中にも。
これからの3年間に、良いことがありますように…と思った3年目の「坂の上の雲」でした。


ついに始まった、運命の一戦。
負ければ、日本はロシアの植民地。
夏目漱石が言った、ロシアの植民地になれば、日本の文化は全て失われるだろう、という恐怖が現実のものになろうとしている。

アメリカのイロコア族の悲劇、食い尽くされる清。
あれが日本の現実となろうとしている。
1部から言われてきた白人の黄色人種に対する扱いを知れば、ロシアが極東の島国を支配すればどう扱うかなんか火を見るより明らか。
帝国主義が世界中に吹き荒れた、弱肉強食の時代。

そんな時代に起きた戦争を、当時の日本を、今の平和の中に暮らし、今の価値観で否定しても意味がない。
国家の存亡を賭けて、戦うしかなかった。
この時代の日本人はそうならない為に、壮絶な、悲壮な戦いの中にいた。
それを現代の自分たちが、どうこう言っても仕方がない。

さて、海軍の常識を打ち破ったT字戦法が取られる。
この降ってきた幸運に、思わず神のご加護だと口走っちゃうロジェストヴェンスキー。
回頭していく三笠が波に現れるCGは、迫力満点!
この海戦で重要なのはもう一つ、「火薬」だそうです。

明治24年、海軍技師・下瀬雅允が発明した「下瀬火薬」。
砲弾を細かい破片にして、あらゆる方向に同じ速さで飛ばす能力を持っていた。
この弾丸に当たったバルチック軍艦は、マシンガン攻撃されたようになったそうです。
さらにこの火薬が気化する時に出す熱は、3000度という高熱で、それによって艦のペンキが引火し、炎が上がったらしい。

だからバルチック艦隊が、ごーごー燃え上がってたんですね、納得。
もうひとつ、この火薬を砲弾の中で爆発させるには信管というものが必要なのですが、ここで登場するのが伊集院信管。
魚雷指揮になっていて、明治33年に、海軍の軍人だった伊集院五郎が完成させました。
この信管がないと、下瀬火薬が使えなかったらしい。

この2つが、日本の砲弾の威力を格段に高めた。
日清戦争には間に合わなかったけれど、日露戦争では大いに活躍したものですね。
ロシアの信管は質が悪く、不発弾が多かったとも言われているとか。
とにかくこの2つが日本海海戦に、ものすごく大きな役割を果たしてくれたみたいです。

バルチック艦隊の砲弾だって、そりゃ砲弾だから殺傷能力はすごい。
当たれば。
これが、黒鉄ヒロシさんも言ってましたが、1000発撃ってるのに、外れるほうが圧倒的に多かった。
射撃訓練をあんまりしていなかったことや、「天気晴朗ナレドモ波高シ」、要するに波が高くて当てにくいことが影響した。

何発かは当たってましたが、火薬庫とかには命中しなかったんですね。
だから被害は出ても、致命的にならずに済んでいた。
さらにあの、バルチック艦隊がもうもうと吐き出す黒い煙。
視界が遮られて見えない。

しかし、日本の煙はそんなことなく、バンバン撃ってくる。
風上でもあったのかな?
命中精度が高い。
当たれば蜂の巣状態になり、火が燃え上がり、燃え広がる。

もう、開戦前の予想はどこへやら。
日本、圧倒的だったんですね。
最初にスワロフに命中した時は、こちらまで「おおっ!」と声が出てしまいました。

「距離6200!」と船中に伝令が出され、黒板に距離も書いたりして、何かすごいな、と思いますが、伝令ってとっても大切。
ロシアの艦隊は水兵の教育と言う点でも日本に負けていたみたいで、どんどん士気も下がっていくのがわかりました。
それと、東郷さんがすばらしいと言われるのは、危険なんですよ、もちろん危険なんですが、司令塔に入らずにあそこにいて動かなかったところらしい。
実際、破片が飛んで来ても、すっと手をかざすだけで動かない。

武士だなあと思いました。
本当、この当時の日本の指導者は武士だったんですね。
徳川の長い世で武士も腐ったとか、堕落したと言われても、腐っても武士という人間がいた。
武士という、特殊な教育を受け続けた人間が上にいたのも、明治の日本にとって幸運だったんだと思いました。

真之が「武士の情けです!」と攻撃をやめてほしいと言い出したのに対して、「本当に降伏したのかわかりもはん!」と言う東郷。
ここら辺が冷静かつ、非情です。
しかし一歩間違えれば艦の人全てを死なせてしまうかもしれないという責任を背負っているなら、これも必要。
この辺り、情緒に負けてしまう明治の真之と、幕末を生き抜いた東郷の時代の人間の違いなのかもしれません。

だけど、203高地もそうですが、戦いは、戦争は悲惨なものです。
火がついて海に落ちるロシア兵、吹き飛ばされる日本兵。
阿鼻叫喚の地獄です。
あれを見て、戦争はカッコイイなんて絶対思わない。

戦争は、「生きている人間」「待っている人もいる人間」を多く殺したほうが勝ち。
203高地でも最後の殺し合いを見て、「こんなことはいけない」「やりたくない」と思ったように、真之も悲惨な水兵たちを見て心が痛みます。
見ているこちらが心を痛めるんですから、実際に血のにおいを嗅いだら、そりゃあ…。
「俺がやった」という気持ちにもなるでしょう。

それまでは勝つことしか考えなかったでしょうが、実際に血を流す人間を見たら、これを自分が築いた死体の山と思えば、たまらなくなったでしょう。
この後、真之が坊さんになりたいと言い出しますが、わかる気がします。
あの悲惨な状況をロシア、日本と見たら、人間は同じだと思うでしょう。
わけ隔てなく、供養もしたいと思うでしょう。

そういえば、旅順戦では、ロシアの教皇がロシア側も日本側も、死んだ兵士を弔ってくれていたようです。
そしてこの後の日本とロシアの争いを思えば、これが最後の「武士道」が通じた戦いだったんだな、と思います。
ただ、あにさんの方がやっぱり豪胆で、真之の方が繊細なんだなとは思いました。

幼い頃、真之の腕白に手を焼いて、自害をうながした気丈な母親もなくなります。
真之が心から甘えられる相手は、もういない。
真之の様子を見た季子はまるで、真之がどこかへ行ってしまいそうな不安を感じたのでしょう、しっかりと止めていました。
泣き崩れる真之を支える季子、外では決して見せてはいけない軍人のもろさを支える妻です。

ロシアの将校の、世界最強の自分たちの艦隊が燃え上がる光景を見た時の信じられない思い。
絶望といったものも、感じられました。
ロシア側の俳優さんたちも、うまいです。

勝った日本が、オスラビアが沈んでいくのを悲痛な表情で見ているのが興味深い。
まるで、自分たちの艦が沈んでいくような表情で見ている。
あれは同じ海軍としての痛みか。
滅ぼさなければいけないものだが、素晴らしい艦が沈んでいくのを見て、哀しみを抱いたのか。

そして日本海海戦の事情が明らかになり、海軍研究家のウイルソンさんは「偉大な勝利」と絶賛。
歴史上見たことがない、このような完全な勝利。
実際、日露戦争はきわどい勝利だったのはわかりますが、このアジアの小国で島国の日本がバルチック艦隊を撃滅したのはそれほどの意味があった。

この海戦が、白人優勢の時代を変えた。
黄色人種が将来、白色人種と同一の基盤に立つきっかけを作ったと言っていい、そのぐらい、歴史を変えた勝利だったんですね。
東郷の名が外国で残っているはずです。
ロシア帝国に恨みを持っている人や国にしたら、日本の勝利は胸がすくものだったんでしょう。

アメリカ海軍でも、東郷は尊敬されているそうですね。
ニミッツ提督は太平洋戦争勝利の後、日本の軍備を解き、軍を象徴するものを撤去する時にも、東郷関係には手を触れさせなかったと聞いたことがあります。
いや、世界に誇れる軍人をご先祖様に持ち、その人たちや無名の兵士に至るまでがこんなにも必死に戦った。
小さな島国なのに、そんな歴史を持つ日本は、自分の国を大切にしなきゃいけないと思いました。

だが、講和条約ではロシアから賠償金は取れなかった。
アメリカが仲介役。
もう、何か、アメリカの影が。

しかし考えたらこんな小さな島国で、30年ちょっと前は黒船にビックリしていた人たちでしょう。
それがこんな火薬と信管を発明し、ロシアを相手に戦争するんですからすごいと、それだけを考えたら単純に思います。
この後、アメリカとまで戦争するなんて、なんて国なんだろう、とそれだけを考えれば単純に思います。
自分の国ながら、どうなっちゃってるんだろうと思います。

それで賠償金が取れなかったことで、人々が弱腰を非難。
でも、起こした火を消すのは難しいんですよね。
現在公開中の映画の「山本五十六」も、「硫黄島からの手紙」の栗林中将も、戦う前から勝てないとわかっている戦いをしなくてはならなかった。

負けるにも負け方があるとして、それをどうするか。
考え、実行しなくてはいけなかった司令官を描いている。
児玉もまた、講和を考えなくてはいけなかった。

だけど戦場を知らない国民は、戦争継続を訴えて暴動、日比谷焼き討ち事件で戒厳令が敷かれる。
そして、多くの新聞が人々を煽る。
この後も、もしかしたら今も?マスメディアなんていうのは、時の流れに乗って煽り立てる、後から考えるといい加減で困ったものなんでしょうか。

福澤諭吉さんが「政府は国民の鏡。決して国民のレベル以上の政府は生まれないし、国民がこれだから政府がこれなんだ」と言いたくなったのは、これかなと思ってしまいました。
それにしても、この頃の日本人は暴動起こすのか、と。
食べられないと江戸時代はお百姓さんでも一揆起こしましたけどね、やっぱり今はおっとりしちゃってるんでしょうか。

夏目漱石は私も今でも持っている「吾輩は猫である」を執筆中!
ちょっと揶揄して、律に不愉快と言われたり、集まった仲間に子規はそんなこと言わないと言われたりする。
漱石に文士の妬みなどと言わせてしまうのは、ちょっと気の毒な気がしますが、素直に妬みだと言える漱石の器は大きい。

それに、漱石も明治からの日本語を支えた礎を作ったと功績も称えられてる。
漱石の真之=軍人に対する複雑な思いは、松山時代の真之と子規を知らない。
子供時代を知らず、学校で知り合った仲というのが、影響している気がします。
そして必死な季子を見て、心からすまないと思って手を合わせてくれる、基本的にはとてもいい人。

真之は子規の墓参りに行く。
そして、あの日の風景を思い出す。
初心に帰ったというべきか。
それを思いだし、立ち直っていき、結局海軍は辞めなかった。

わかりにくい描写だったかもしれませんが、最近、猫のお墓参りで塔婆を立てた時の事を思い出しました。
確かにお墓参りとか、仏事には人の気持ちを変える力があります。
やっぱり、ああいうセレモニーは大事なのだと思います。

外来語などが入り乱れた時代、子規の友人であった真之の日本語はさすがだったらしいです。
「皇国の興廃この一戦にあり」。
「天気晴朗なれど浪高し」。
そして真之の考えた連合艦隊解散の辞などは、お手本になる日本語だったらしい。

外来語と入り乱れた…、というので思ったのですが、明治と言う時代は西洋文化を取り入れた時代でしたね。
日本はその島国と言う特長からか、外部から来たものを取り入れる吸収力が早い。
そして、それを自分たちに合うように発達・発展させていく能力がすごく優れている。

以前、お肉を網で焼いていたら、「網で焼くっていうのも日本らしい、おいしい発展のさせ方だよね」と言われ、「ああそうなのか」と思ったことがあります。
日本って、うまく食べ物をアレンジするんだなと、その時は思いました。
他に、たらこ・明太子パスタなんていうのも、そうだなと思いました。
でも今は、食べ物だけじゃなくて文化とか全部、日本は取り入れて発展させるのがうまいんじゃないかと考えてしまいますね。

真之は兄・好古と初めて、釣りに行き、兄が久しぶりと言うのに対して、初めてですと言う。
そして母に答えてもらいたかった「人様のお役に立てたかのう」という問いに、答えをもらう。
兄が「お前はようやった。ようやった、よ」と言ってくれる。

1部の頃から、厳しく、ストイックで弟の為には働くが、決して甘やかさない。
兄、好古こそは、真之の父親のような存在。
それにそう言ってもらえた。
ここで真之の、一世一代の戦いはやっと終わりを告げられた。

真之と、好古のその後の人生は決して華やかなものではなかった。
しかし、使命を果たした人の、坂を駆け上がった明治の1人の人間のすがすがしさを感じました。
明治という時代は、とても楽天的な時代であったが、暗い面もあった。

だけど、そういう被害意識だけで歴史を語るのは、どうなのかと言っている。
この時代の日本人は、坂の上にきらめく一朶の雲を見て、それを目指して駆け上がって行った。
明太子パスタを思って、今の日本人の基礎って明治にあったのかと思ったんですが、そうじゃない。
武士の時代があって明治の時代があって、歴史全部、やっぱり当然だけど、全部、今の日本に繋がっているんだと。

最後に好古が死んで、明治は遠くになった。
けれど、空は青い。
古き良き日本は形を変えて、それでも青い空がそこにはある、という静寂なラスト。

あまりスポットを当てない、または暗い面だけが強調されがちな昭和以前の日本を、視点を違えて描いた「坂の上の雲」。
原作者の司馬遼太郎さんがこの原作の映像化に許可を出さなかったのは、何となくわかります。
戦意高揚みたいなドラマになっては嫌だという思いがあって、またその危険性があるというのもわかります。

しかしこれは秋山軍人兄弟は主人公ではあったが、明治時代の日本全体、日本人のドラマだった。
日露戦争を戦った日本人の、近代の洗礼を受けてなお、立ち上がった日本人のドラマでした。
戦争ドラマではなく、その時代に生きた人々の壮絶なドラマだった。

硝煙と血の匂いが立ち込める戦場を描き、これが嫌で武器が発達したのかなどとそんなことまで考える。
近代日本について、考える、知る機会をくれた貴重なドラマになりました。
NHKさん、これを作ってくれてありがとうございました。
3年間、楽しませてもらいました。


2011.12.27 / Top↑
満州の花揚樹。
好古は、電報を受け取った。
それはサダが、6月19日に病没した知らせだった。
好古は墨をすりながら「淳は間におうたかのう」と言った。

津田沼駅、セミの声が聞こえる中、真之が戻ってきた。
季子が頭を下げる。
「季子」。
「お帰りなさいませ。よく無事で」。

真之は家に戻ると、家族が頭を下げる。
奥の座敷に、白い布を顔に伏せたサダが寝ている。
真之は枕元に立ち、膝を折った。

サダをじっと見つめると、制帽を脱ぐ。
「日本海の海戦に勝ったことをお知らせしたら、本当に喜ばれて。一時はお元気になられたんです。淳が帰って来るまでうちは決して死なん。待っててやるのが、母の務めだとおっしゃって」と多美が言う。

「義姉さん。長い間、本当に母がお世話になりました」と、真之が頭を下げる。
「いいえ、大好きなお母様でした」。
真之は母の顔を覗き込むと、白い布を取る。
「お母さん…」。

じっとサダを見つめる。
「お母さん、生きとるうちに帰っこれんで、すんませんでした。」
真之は、懐剣が乗った母の胸をそっとなでる。
「父さんによろしくのう。サダ、サダ言うて、あの世でも首を長うして母さんを待っとるはずじゃけん」。

「母さん。わしは…世の中のお役に少しは立てたんじゃろうか」。
「教えてくれんかのう。母さん」。
多美も季子もじっと、真之を見ていた。

夜。
真之は起き出し、蚊帳をまくって縁側に座る。
「眠れませんか…」。

季子も起き出して、真之の側に来る。

「真之さん」。
「季子」。
「はい」。
虫の声が響く。

真之は庭に下りる。
季子が思わず止める。
「どちらへ」。
「散歩じゃ」。

「こんな夜更けに…。おやめなさいまし」。
「寝付かれぬ。気晴らしにちょっと行ってくる」。
季子が背後から真之にしがみつく。
「離せ」。

「嫌です。やっと…お帰りになられたのに。「この日をどんなに心待ちにしていたことか」。
真之は、「…海軍を辞めようかと思う」と言った。
季子は、まるで真之がどこかに行ってしまって、会えなくなるかのように止める。

「死んだ人間を仰山見すぎた。わしはもうこれ以上…、人が死ぬことに耐えられん」。
季子を見つめる顔が歪む。
泣き崩れる真之。

「坊さんになりたい。坊さんになって戦没者の供養をせにゃならん。対馬の海には日本とロシアの将兵が仰山、沈んでおる」。
「わしは坊さんになりたい。日本人もロシア人も等しく、供養をしたい」と手を合わせる。
季子も思わず、手で口を抑える。
泣いている真之を抱きしめる。

ロシアの帝政は強大な軍事力を持つことによってのみ存在し、国内の治安を保ってきた。
それが崩壊した以上、日露戦争はロマノフ王朝そのものを、崖っぷちに追い込んでしまったことになる。
この時、ロシアに講和を働きかけたのは、米国大統領セオドア・ルーズベルトだった。

日本側の講和先遣大使には、小村寿太郎が命ぜられた。
伊藤博文以下は、小村に全幅の信頼を寄せていると言って送り出した。
「君が帰朝の折りは、例え誰1人出迎えの者なくとも、余だけは必ず小村くんを迎えに来る」と伊藤は言った。
「ルーズベルトが…、どう出るかが鍵になりましょうな」。

明治38年9月5日。
ポーツマスで、日露講和条約が調印された。
しかし日本は、ロシアから賠償金を得ることはできなかった。

ここに大群衆が登場する。
大群衆の叫びは、平和の値段が安すぎるというものであった。
講和条約を破棄せよ。
戦争を継続せよ、と叫んだ。

国民新聞をのぞく、各新聞はこぞってこの気分を煽り立てた。
9月5日、日比谷公園で開かれた全国集会は3万人が集まった。
彼らは暴徒化し、政府はついに一時、戒厳令を引かずにはいられなかったほどであった。
小村を迎えたのは、伊藤博文だけだった。

勝利と言うものは、絶対のものではない。
敗者が必要である。
伊藤が、小村に手を出し、小村は頭をたれている。
ロシアは自らに負けたところが多く、日本はその優れた計画性と敵軍のそのような事情の為に、きわどい勝利を拾い続けたというのが、日露戦争であろう。

連合艦隊が、横浜沖で凱旋の式を行った翌々日。
真之は、朝早く、まだ暗いうちに家を出た。
途中、団子を食べ、うぐいす横丁の子規の家を聞いた。
義太夫のお師匠さんかなんかですか?と、そこの娘は言った。

真之が、子規の家の前まで来る。
子規が死んで、3年が過ぎていた。
真之は門をじっと見つめると、何も言わずに立ち去る。

坂を上る真之の後姿を、家から出てきた子規の母が見た。
曲がっていく真之の後姿を見て、母は干し物をしている律に、淳さんがいたように見えたと言う。
律は表へ走っていく。
だが真之の姿は、もう見えなかった。

真之はその後、3キロの道のりを歩き、田端の子規の墓まで行った。
まだ墓碑はできていなかったが、その草稿だけはできていた。
墓こには子規が残した俳句、短歌のことは何も残されておらず、自分の名、生国、父の藩名とお役目、母に養われたこと、勤め先、享年、月給の額が書いてあった。

真之は丁寧に墓参りをして、拝む。
子規の墓をじっと見つめる。
やがて、雨が降ってきた。
真之は立ち上がり、天を仰ぎ、立ち去っていく。

律は洗濯物を取り込む。
「さっきのお人、間違いなく淳さんじゃと思ったんだが」と母が言う。
「淳さんなら軍艦に乗っておいでじゃけん。人違いじゃろう」。

「そうかのう」。
「そうに決まっとりやす」。
戸口の方を見て、律が目を閉じる。
律が母を見ると、母は雨の庭を見ていた。

真之は鉢をかぶり、子規の墓前を後にし、雨の坂を下った。
道は飛鳥山、川越へ繋がる旧街道である。
雨の中で緑がはるかにかぶり、真之はふと、三笠の艦橋から臨んだあの日の日本海を思い出した。

坂の上から見る風景。
鉢を深々とかぶった真之は、まるで僧侶のようだった。
真之は結局、海軍を辞めなかった。

明治の日本語は、外来語と旧来の体制が崩れたことで混乱したが、その中で規範とするべき日本語があった。
それらを書いたのは子規であり、漱石であり、また真之の連合艦隊の解散の辞もそうであった。
東郷が読み上げる。

「百発百中の一砲 能く百発一中の敵砲百門に対抗しうるを覚らば 我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず 惟ふ(おもう)に武人の一生は連綿不断の戦争にして時の平戦に由り 其の責務に軽重あるの理なし」。
「事有れば武力を発揮し、事無ければこれを修養し 終始一貫その本文を尽くさんのみ」。

「神明はただ平素の鍛錬に力め(つとめ) 戦はずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に 一勝に満足して治平に安ずる者より ただちにこれをうばふ 古人曰く勝って兜の緒を締めよ、と」。
真之は前を向いて聞いていた。

明治39年1月、乃木の第三軍が凱旋した。
乃木は明治天皇に拝謁する時、児玉に呼び止められた。
「乃木よ、乃木のジジイよ。その格好で陛下に拝謁するのはいかがなものかのう。戦場の埃にまみれておるではないか」と児玉は言った。

「ようやく、終わったのう。また生きながら得た」と言う児玉に、乃木は「うん」と答える。
「これから先き、一体どうなるかのう。一つじっくりと見届けねばなるまいのう」。
乃木は言う。
「何一つ、変わりはせん」。

「そうかのう?」
「うん」。
「そうかのう…」と、外を見る児玉。

前を見て進む乃木。
見送る児玉。
乃木は角を曲がって、見えなくなった。

維新後、日露戦争までと言う30年あまりは、文化史的にも精神史の上でも長い日本の歴史の中でも実に特異である。
これほど楽天的な時代はない。
無論、見方によってはそうではない。

庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く、民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり、女工哀史があり、小作争議がありでそのような被害意識の中から見ればこれほど暗い時代はないであろう。
しかし被害意識でのみ見ることが、庶民の歴史ではない。
明治は良かった、と言う。

「降る雪や明治は遠くなりにけり」という、中村草田男の澄み切った色彩世界が持つ明治が一方にある。
この物語はその日本史上、類のない幸福な楽天家たちの物語である。楽天家たちはそのような時代人としての体質で前をのみ、見つめながら歩く。
上って行く坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば。
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。

紅葉、雪、桜、そして緑。
子供たちが川で魚を取っている。
その子供たちがいる、橋の上を真之は兄の好古と歩く。

真之は好古と、海釣りに出た。
2人並んで、釣り糸を垂らす。
好古が「何十年ぶりかのう。お前とこうして釣りをするのは」と言う。
真之が「いや、あに兄さんとつりをしたことなぞ、一度もないぞね」と言う。

「そうか?そうじゃったかのう?」
「そうじゃ、一度もない。貧乏で貧乏で、あにさんは釣りなどして遊んだことなぞ、なかったでしょう」。
「そうか、それはもう、貧しかったからのう。お前はよう遊んじょったがのう」。

真之は笑う。
「あにさん」と真之が言う。
「なんだ」と好古が言った。
そして、「なんのなんの。お前はようやった。よう、やった、よ」と言う。

真之は黙って下を向く。
「この先、一体どうなるじゃろうなあ。お前にもわからんか」と好古が言った。
「…急がねば一雨来るかもしれんぞね」と真之が言う。
好古は笑う。

「それは急がねばならんな」。
「おっ!」
「やられた」。
兄弟は笑う。

秋山真之の生涯は、必ずしも長くは無かった。
大正7年2月4日、満42歳で没した。
前を向いて歩く真之。

臨終の時、集まっていた人々に「みなさん、お世話になりました。、これから1人で行きます」と言った。
それが最後の言葉だった。
去っていく真之の後姿。

道を自動車が行く。
その道を、好古が馬に乗っていく。
好古は、やや長命した。

陸軍大将で退役した後は故郷の松山に戻り、私立の北洋中学と言う無名の中学の校長を務めた。
「校長先生、おはようございます」と子供たちが挨拶をする。
「おはよう」。

昭和5年11月。
死の床に着いた好古は、数日うわごとを言い続けた。
「まだか。先陣じゃあ」。

多美はそれを聞いて、子供や孫たちに「お父様はまだ、満州の荒野をさまよってらっしゃるわ」と言った。
家族が集まってくる。
好古は「馬ひけい。行くぞ」と言って、宙を見つめる。
「奉天へ」。

多美が好古の手を取る。
そして、そっと肩に手をやる。
「あなた、馬から落ちてはいけませんよ」。
「ああ…」。

好古は目を閉じる。
呼吸が静かになる。
多美が見つめる。
手を握る。

そして、傍らの椅子に座り込む。
好古が目を閉じる。
医師と看護師が、出て行く。

長い廊下を歩く看護師。
右側は大きな窓だった。
光が差し込んでいる。

一面の光で、窓の外の景色は見えない。
やがて、看護師が角を曲がり、見えなくなった。
窓一杯に、広がる青空が見える。



2011.12.27 / Top↑
最終回、「日本海海戦」。


「取り舵一杯!」
東郷が右手を挙げ、この時から世界の海軍戦術を破った異様な陣形が指示された。
T字戦法。

スワロフでこれを見たロジェストヴェンスキーは「東郷は狂ったか」と口走る。
「これは神のご加護だ」。
速度を16ノットとして、全ての艦が回頭を終わらせるまで、10分。

その間、艦は静止状態を狙い撃ちされることと同じだ。
この黄金の10分を無駄にするな。
「三笠を撃沈せよ!」との命令が下る。

三笠の東郷たち司令官に、波がかかる。
敵前でUターンというより、三笠はαを描いたように左へ曲がっていく。
ロジェストヴェンスキーは、2本以上の矢の束のように北上していく。
東郷は矢の束を寸断し、この頭を抑えようとした。

だが、この戦法は場合によっては味方の破滅を招くことがある。
回頭している間、ほとんど射撃ができないのだ。
敵にとっては、静止状態を狙い撃ちするほどにたやすい。
三笠は波に洗われながら、曲がっていく。

曲がり終えた時、東郷に「砲撃を開始します」との声がかかる。
「よし」。
「距離6400。撃ち方、初め!」

次々と艦内に伝令が発する言葉が走る。
「距離6400。撃ち方、初め!」
号令と共に、砲撃が開始された。
日本の砲台が火を噴いたのを見て、ロシア艦隊内の水兵が「来るぞ」と走る。

「これが例の『鞄』というやつか?」
「何だ、あの爆発は?!」
「また来たぞ」。
ロシアの艦が騒がしくなる。

「距離6200!」
三笠の砲台が、再びバルチック艦隊を捕える。
次々と発射される砲弾。
艦内が、固唾を呑んでバルチック艦隊を見守る。

砲弾は轟音を立て、ロジェストヴェンスキー指令塔のあるスワロフが炎を上げた。
目標は、旗艦スワロフであった。
火柱が上がり、司令塔にも煙が入る。

水戦の始まりにあたっては、全力をあげてやにわに2~3艘を討ち取るべし。
秋山真之が、日本の水軍案から得た戦術だった。
スワロフにも、主砲を急ぎ撃てとの命令が下る。
東郷は、真之の立てた戦略の通りに艦隊を移動させた。

天気晴朗なれども波高し。
この意味は、天気晴朗ならば取り逃しはない。
波が高いなら、射撃が定まらず、ロシア艦隊に不利。
射撃訓練に十分な日本軍には有利という意味だった。

スワロフが燃える。
水兵たちが走り回る。
足を取られ、倒れた大佐が伸ばした手は、瀕死の水兵の手に触れた。

「距離5800!」
三笠もまた、火を噴く。
ロシア水兵の背に火がつく。

バルチック艦隊は今や、炎を上げて燃えていた。
怒号が飛び交う中、司令室へ急ぐ大佐の前に遺体がある。
大差は、思わず十字を切る。

「閣下。我が艦隊は悲惨なことになっております」。
大佐が報告する。
参謀長が「少し、艦隊の感覚を変えたほうが良さそうですな」と言った。
「だいぶ敵弾が当たり過ぎているようですから」。

「こっちの弾だって当たっているのだ」とロジェストヴェンスキーは言う。
その瞬間、着弾音が響き、司令塔が揺れる。
大佐が言った。
「外をご覧ください」。

ロジェストヴェンスキーが双眼鏡を構えて、狭い、横に広がった窓から外を見る。
大佐が出て行くと、パニックを起こした血まみれの兵が「なんでこんな船に乗せたんだ」とつかみかかる。
その時、衝撃で皆が飛び上がる。
煙が立ち込めて、何も見えない。

やがて煙が流れ、視界が開ける。
目を閉じていた大佐は意を決したように、外に出る。
階段を上がっていく。
あちこちで炎が上がっている。

煙が流れ、炎が上がっている中、大佐は上に上がって行った。
海を見て、大佐は目を覆う。
覆った手の指の間から、目をのぞかせて絶望の言葉を振り絞るように吐く。
「なんということだ」。

マストが、斜めに炎を上げて落ちていく。
目の前の艦が、その後ろの艦もまた、炎上している。
熱で視界が歪む。

オスタビアが、傾いている。
日本海は黒い煙を噴出し、炎上しているバルチック艦隊が列をなしていた。
艦の側で白い水柱が上がる。

「オスタビアが沈没しつつあるぞ!」という声が三笠に響く。
「おおーっ!」
体に火がつき、逃げ惑うオスタビアの水兵は次々海に落ちた。
オスタビアの甲板が、斜めになっていく。

水兵たちは必死に直角になっていく床にしがみつこうとして、海に落ちていく。
波が甲板を洗う。
炎に包まれ、自ら海へ落ちる者。
波に現れながら必死でしがみつく者。

容赦なく着弾する砲弾。
艦内には、勢い良く海水がなだれ込む。
足を取られ、転倒する水兵。

三笠にも着弾があった。
水兵が吹き飛び、東郷たち司令官たちが衝撃に揺らされる。
東郷が立つ近くに着弾があり、破片が飛んでくる。

背を低くし、逃れる者。
東郷は軽く目の前の破片を振り払うように、手をかざしただけで動かない。
波が降り注ぐ。

「見て来い!」と真之が言う。
三笠の艦内でも、負傷者が続出する。
「距離4600!」
「配置につけ!」

三笠でも水をかぶりながら、水兵が走る。
砲弾が込められる。
「距離4600!急ぎ撃て!」
三笠の近くで、バルチック艦隊が撃ってきた水柱が上がる。

煙を上げて、三笠が撃つ。
スワノフにまた着弾する。
爆発する艦内。

「閣下、三笠です!」の声が、司令塔に響く。
「三笠が、こちらに接近しています!」
ロジェストヴェンスキーが叫ぶ。

「三笠を撃て!三笠を沈めよ!」
「全砲撃て、6インチ砲急ぎ撃て!」
だが砲弾は、三笠の周りに水柱を上げただけだった。

三笠でも、衝撃で日章旗が落ちて来る。
迎え撃つ三笠。
ロジェストヴェンスキーも撃ってくる。
艦と艦同士が、撃ちあう。

だがスワノフが、炎を上げた。
砲台が吹き飛ぶ。
外を見ていた司令塔にも衝撃が走り、ロジェストヴェンスキーが転ぶ。
激しく炎を上げるバルチック艦隊。

スワノフに静寂が訪れた。
倒れている機材の下から、ロジェストヴェンスキーが這い出てくる。
三笠にいる東郷は、前を見据えたまま、微動だにしない。

ロジェストヴェンスキーが外に出る。
動く者はもう、誰もいない。
いたるところに、遺体がある。
動く者がない。

死の船と化したスワノフ。
よろよろと、上に上がっていくロジェストヴェンスキー。
「オスラビア!」と、叫ぶ声が聞こえる。

その悲痛な声で海上を見たロジェストヴェンスキーが見たものは、沈んでいくオスラビアだった。
黒鉛に包まれ、炎上し、オスラビアは沈んでいく。
信じられない光景に、ロジェストヴェンスキーは目を閉じる。

炎の上がる海の中、手を上げて波に飲まれる水兵。
悲鳴が日本海に響く。
海の中でも、炎は静まらない。
水兵の絶望的な叫びが、手が、天に向かって突き出される。

オスラビアが、彼らの目の前で海に向かって直角になっていく。
日本側も息を呑み、見つめていた。
砲弾の着弾による水柱、砲撃の音。

スワノフでは、ロジェストヴェンスキーが水兵に運ばれていく。
呼ばれた大佐に「指揮権をネボガドフに」と、ロジェストヴェンスキーは囁く。
三笠を見回る真之の目には、負傷した水兵たちが目に入る。
炎を上げ、爆発し、もはやただ燃えるのみのバルチック艦隊。

見つめていた連合艦隊たちも息を呑み、声もなく見守る。
世界最強のバルチック艦隊が火を噴いている。
それはロシアの将軍達にとって、目の前の悪夢。

信じられない光景。
まるで連合艦隊までが、目の前の光景を信じていないかのように。
自分たちが沈んで行くように、真之たちは悲痛な表情を浮かべる。

真之の対バルチック艦隊の戦方は彼の独創で、どの国の戦術所にもない。
細長い日本海を7段に区分し、白昼の主力艦隊による砲撃戦と日没の駆逐艦、水雷低による夜襲を繰り返すことで敵を一隻残らず沈める。
夜襲は50隻を越える駆逐艦、水雷艇の役目であった。
彼らは夜明けまで、一睡もしないであろう。

船室に入った東郷に、「だいぶ、怪我人ができました」との報告がされる。
負傷者が、うめいている。
東郷が「もっとできる…、つもりじゃった」と言う。
そして、真之を見る。

海軍省では、戦況の情報を待っていた。
「連合艦隊からの電報です」。
山本権兵衛の前で、軍令部長の伊東祐亨が電報を読みあげる。

「連合艦隊は本日沖ノ島付近で敵艦隊を邀撃。大いにこれを破り、敵艦少なくも4隻を撃沈し、その他には多大な損害を与えたり。我が艦隊には損害少なし。

駆逐艦、水雷艇隊は日没より襲撃を決行せり」。
勝っている!
だが山本は、「まだ…、まだ…、バルチック艦隊を全滅させたわけではありもはん」と言う。

5月28日。
ネボガドフが「総員対比、攻撃してはならんと言う。
バルチック艦隊には着弾が続き、炎が上がっている。
しかし日本の攻撃は、続く。

真之が言う。
どうも様子がおかしい。
「どうして一発も撃ってこんのじゃ?」

旗が揚がっているように見える。
白旗が揚がっているようには見えるが、降伏信号までは揚がっていない。
「降伏です!ニコライ一世の小塔に、我降伏せりとの万国信号が揚がっています」。
真之が「敵は降伏しております、我が艦隊の発砲を止めましょう、発砲を中止しましょう長官!」と言う。

だが「距離6800 目標ニコライ1世!」との声が響く。
砲弾が打ち込まれる。
真之は「長官!武士の情けであります、発砲をやめてください」と言う。
しかし東郷は、「ほんなこて降伏するのなら、そん船を停止せにゃならん。やんせ、敵はまだ前進しておるじゃなかか!」と言った。

ニコライ一世は、ガタガタに崩れていく。
真之は、イラついた声をあげる。
加藤が「秋山!敵艦隊はまだ前進を続けておるのみならず、その砲門をこちら側に向けている。軽々しく戦闘中止はできんぞ」と言う。

「敵艦に信号を出しましょう。一刻も早く旗艦を停止させましょう」。
東郷が、真之を見つめる。
その時、ニコライ1世が停止した。
他の4隻も停船したようだった。

「ニコライ1世の小塔には降伏信号旗とともに、わが日本国旗が上げられております!」という報告が入る。
「戦闘旗を降ろせ!」
「撃ち方やめい!」
三笠に伝令が響く。

水兵が、顔を見合わせる。
その顔が喜びに輝く。
顔も服も真っ黒にした水兵が、戦闘旗を降ろしていく。

「終わった…。終わったか」。
真之がつぶやく。
東郷が「秋山、ゆけい」と言う。
「はい」。

「中佐、十分、注意してください」と、一緒にネボガドフの元に向かう山本が言う声に真之は「ああ」と答える。
真之は傷つき、呆然とした表情の兵がいる中、艦隊に上がる。
案内されて入った艦内では、負傷者を運ぶ水兵がいた。
ふと、真之は足を止める。

その奥には、ロシア兵がいる。
血だらけの包帯を頭に巻いている者、立ち上がれない者。
負傷者の山。

驚く山本だが、真之はその船室に入っていく。
ロシア兵たちが、真之を見つめる。
部屋の奥、積み重なった遺体の山。
真之は帽子を取り、跪いて祈る。
水滴が絶え間なく、たれている。

東京・根岸の子規の家では、子規の弟子が集まった。
子規の母は、文芸誌「ホトトギス」を渡される。
「人が何と言おうと、淳さんがいる連合艦隊は勝つ」。
「松山にいる頃から、淳さんがいる時はケンカに負けなかった」。

「そうじゃ、そうじゃ!」
真之がいれば勇気やら安心やらと、集まった皆が話す。
「兄さんはケンカ弱かったがのう」と律が言う。

漱石がやってくる。
「表で猫にちょっかい出して、引っかかれた」と漱石が言った。
「我輩には、大和魂が欠けておるからねえ。だから最近は大和魂に会うと、少し道をよけている」。

「夏目さんが言うと、大和魂が目に見えるようじゃね」と子規の母が言った。
すると漱石は言う。
「誰も口にせぬものはないが、誰も見た者はない。誰も聞いたことはあるが、誰も会った者がない。大和魂はどんなものかと聞けば、大和魂さと答える。大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五、六間行ってからエヘンという声が聞こえた 」。

すると、「漱石さん…」と律が言う。
「何か…、バカにしているようで不愉快じゃ…。淳さんたちが今、命を賭けて戦こうているのは何の為じゃ。」
漱石は黙る。
そして言う。

「…揶揄したわけではなくて、これは妬みだ」。
「何の妬みぞね」。
「文学士などと言うが、いざとなれば軍人に頼るしか生きていけない。三文の価値すらない。自分の無力が悔しいんです。正岡が生きていれば、同じことを言うでしょう」。

すると律は言う。
「あにさんは…、そうは言わん」。
「はっ?」
「うん、そうは言わんな」という声が飛ぶ。

「言わんじゃろうな」。
それを聞いた漱石は、「ふむ…、そうか。そんな気もするな」と言った。
「私はね、怖いんだ。もし、バルチック艦隊に負けたら日本はロシアの植民地だ」。

「我輩はかつて、文学を捨てて軍人になった秋山真之を軽蔑した。しかし今頼れるのは、その秋山だ。それが悔しいんだ」。
なくなった子規が、机の前に座っているのが見える。
「しかし確かに正岡は悔しがったりしないような気がする、うん」。

漱石はそう言うと律に「謝ります。申し訳ない」と頭を下げる。
子規が庭を見つめている。
いつまでも頭を下げている漱石の前に、律が手で頭をあげろと示す。

「もっと素直に言わんかね。秋山がんばれと言えばいいぞね」。
漱石は頭を上げ、「謝りついでに、今月の『吾輩は猫である』です」と冊子を出した。
そして、根津のお稲荷さんで季子を見たと言った。

ずっと拝んでいたので、声をかけそびれた。
いくらなんでももういないだろうと律たちがお稲荷さんに向かうと、季子はまだ、ひたすら拝んでいた。
祈っていた季子が律の気配に気づき、朝から思い当たるところを訪ね、片端から拝んでいたのだと言った。

律も思わず、一緒になって手を合わせる。
「軍人も、文学者もあるものか」。
「すいません」と漱石が言って、手を合わせる。
子規の母は、「ノボ、読んでください」と渡された冊子を仏壇に上げ、拝んだ。

東郷の使者として艦隊を訪れていた真之は、ネボガドフ提督との話し合いに臨んだ。
「こんな服装で申し訳ない」と、ネボガドフは言った。
バルチック艦隊は一切を連合艦隊に従います、とネボガドフは言う。
そして、「できれば他の船がどうなっているのかお聞かせ願いたい」と言った。

真之は、「残念ですがネボガドフ提督、ロシア艦隊は敗北し、現在少なくとも戦艦、装甲巡洋艦など11隻が沈没しております。沈没した戦艦はスワロフ、アレクサンドル三世、オロジノフ、オスラビア、巡洋艦はウラルです」と言った。
ネボガドフは椅子に座り込む。
真之の声はさらに「それに駆逐艦3席と工作艦カムチャッカや貨物船ルッス、そして…」と続く。

一体これを、勝利と言う規定の曖昧な言葉で表現できるであろうか。
日本側の損害は水雷艇3隻と言う、信じがたいほどの警備さで、無傷と言うに近かった。
これに対し、ロシア艦隊の主力艦のことごとくは撃沈、自沈、捕獲されると言う、当事者たちでさえ信じがたい奇跡が成立したのである。

H.W.ウイルソンと言う英国の海軍研究家は、日露双方の発表によって日本海海戦の事情が明快になった時、「何と偉大な勝利であろう。自分は陸戦においても海戦においても歴史上このような完全な勝利と言うものを見たことがない」と書き、「さらにこの海戦は白人優勢の時代が既に終わったことについて、歴史上のイチ新紀元を画したというべきである。将来は白色人種も黄色人種も、同一の基盤に立たざるを得なくなるだろう」とし、この海戦が世界史を変えたことを指摘している。
真之が戻ると、艦は喜びに満ちていた。

「号外!号外!大勝利!」という声が、町に響く。
季子が号外を手に、家の中に飛び込んでくる。
「大海戦公報 敵艦全滅」という見出しの号外だった。

枠の上には「帝国万歳」と言う文字が赤く載せられている。
歓喜の声が聞こえてくる。
季子は号外を抱きしめるように抱え、泣き始めた。

「お母様!お母様!」と多美が好古の家の中に、走ってくる。
「これ、号外が出て、大勝利!真之さん、大勝利!」
寝ていた母のサダは起き上がり、「淳は、順は生きておるかね」と言うと、多美が「淳さん、ちゃんと生きてます!」と叫ぶ。

「そら良かった」。
「良かった、本当に良かった」。
2人は手を取り合って、泣き始める。


2011.12.27 / Top↑
あ~、3年間見続けた「坂の上の雲」がついに完結。
3年。
3年経ったんだ…と。

いろんなことがあったと、改めて考えてしまう。
自分も。
世の中も。

さて「坂の上の雲」、最終回を前に、他局で東郷平八郎について黒鉄ヒロシさんが語っていました。
前後を見ていないし、「ながら」で聞いていたので、実はよくわかりませんが、先週までを見て、友人と語ったことに似ているなあと思いました。
もちろん、誰もが思ったわけですが、この戦いに負けたら、日本はロシアの植民地だっただろうと。

この時代の指導者は、武士だったこと。
黒鉄さんは、東郷だって武士だったからと言ってました。
明治の時代の人もすごいんだけど、やっぱり武士はすごかった。

そして、日本はとにかく徹底して、バルチック艦隊が来るまで、射撃の訓練をしていた。
ロシアは千発撃って、200発ぐらいしか当てられなかった。
だが日本の命中率は、番組内で語っていた数字によると75~80%ぐらいはあったような。
それが波高しでわかるよう、ロシアの艦隊には不利な条件である上に、訓練が生きたこと、訓練は大切だ、というようなことを語ってました。

しかし、見終わってみて1話のイロコア族の話、白人優位世界の話から、ここまで来てるんですね。
ウイルソンという海軍研究家の、日本海海戦は白人優位の世界史を変えたという指摘。
奇跡の勝利であり、薄氷を踏むような勝利だったことはわかります。

だけど、あまり語られない明治とその時代の日本、日本人。
弱肉強食がむき出しになった時代と、戦争。
それについて、改めて考えるきっかけを与えてくれたドラマでした。
NHKさん、作ってくれてありがとう!と、とりあえずそれだけは、今言いたいです。

それにしても、今週は「ミタ」さんから「妖怪人間」。
この「坂の上の雲」と異様に、近年ない充実したドラマ週間だったな~。
良かった。


2011.12.26 / Top↑