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今も昔も、お醤油は偉大

「仁 -JIN-」の7回目にヤマサ7代目当主・濱口儀兵衛(梧陵)が登場。
今朝の日経新聞でも、濱口儀兵衛(梧陵)さんが紹介されてました。
なんというタイミング!

7代目・濱口儀兵衛となった梧陵さんは「仁」で描かれる9年前の1854年、安政東海・南海大地震での「稲むらの火」で有名。
大地震の後に津波を予測し、村人を避難させる為に自分の田から収穫していた稲の束に火をつけて、村人を暗闇の中、高台まで誘導。
広八幡神社に逃れて、村人の9割が助かったのが「稲むらの火」。

さらにその後、避難所を作り、病院を作り、村の復興に私財を投げ打ち、村を復興。
17世紀に分家した東濱口家・ヒゲタ醤油の吉右衛門さんと共に、現存する広村堤防を築いた。
こんなの、個人でできる範囲を超えてますよね、すごい。
小泉八雲が「生き神さま」と書くわけです。

西洋種痘所への尽力、蘭学者への援助、コレラの予防。
このあたりが「仁」のストーリーと大いに関わる理由なんでしょうが、しかし、ヤマサを出してくるとは「仁」、驚きです。

「仁」の7回目の舞台は1863年ですが、約20年後の1862年には異例の商人からの抜擢を受けて現在の和歌山県・紀州藩の勘定奉行になり、経済の近代化を行ったそうです。
明治時代には、郵政大臣として郵便制度を作る為に尽力。
ただし、反対勢力の方が強かった為、在任1ヶ月で辞任。

1887年にはアメリカに渡り、ウスターソースの瓶詰が売られているのに注目。
濱口儀兵衛さんは翌年、ニューヨークで病気の為に亡くなってしまったのですが、同行していた高島小金治さんが製造法を習得して帰国。
8代目濱口儀兵衛さんと共に研究し、1886年に瓶詰めの「新味醤油」を発売したとのこと。
ただ、この新味醤油は香辛料を使っていた為に、あんまり評判が良くなくて、1年ぐらいで販売中止になったらしいです。

日経にも書いてありましたが、ヤマサはお醤油以外の事業はあんまり成功していなくて、7代目が私財を投げ打って社会に貢献した為、この8代目・儀兵衛さんは資金繰りに苦労されたそうです。

アメリカではこの新味醤油、「ミカドソース」って名乗ってたみたいですね。
以前のアメリカで売られていたお醤油って、醤油がちょっとしか出なくて、要するにスパイス程度の使い方をされていたようで、滞在する日本人の方はそのちょこっとしか出ない瓶にイライラしたことでしょう。
家にお醤油がないなんて考えられない、だって私は日本人だもーん、って。

私は海外で、醤油という調味料の偉大さを改めて認識しました。
お醤油買って来て調理。
「あ、そのソースをかけないで持ってきて、お醤油なら食べられる…」って感じの料理も結構あった。

いやー、素晴らしい、お醤油は。
これなら食が進むわ~。
お醤油ありがとう!
ヤマサさん、キッコーマンさん、ありがとう!って感じでした。

私財を投げ打って社会に貢献し、小泉八雲には「生きた神さま」と書かれた7代目・濱口儀兵衛さん、その後のヤマサを支えた娘婿さんである8代目。
意外なところでスポットライトが当たって、良かったですね!
今も昔も、お醤油は日本にとって偉大!ってことで。


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[ 2009/11/25 ] 思うこと | TB(0) | CM(0)

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