時代劇専門チャンネルでは今、「仕置人」を放送しています。
始まりは「仕掛人」ですが、見ていて、「仕置人」は原点だなあと思います。

世間に対して達観したような念仏の鉄。
理不尽に対してストレートに怒る、棺桶の錠。
完全に世間からは、はみだしている彼らアウトローが体現する「一寸の虫にも五分の魂」の精神。

そして、体制側にいるにもかかわらず、奉行所の腐敗に無力感でいっぱいの中村主水。
社会的には力がない彼らが、権力に押しつぶされる者を前に、屈折した正義を炸裂させる。
容赦のない残酷さ、蔑み。

それに対して反逆する、彼らの怒りとパワーがすごい。
悪党も悪党なら、対抗する彼らも彼ら。
例えば、今日は水飲み百姓が食い詰めて、江戸に出て来て20年。

里に帰ったら少しはマシな生活をしようと思って貯めた金だが、目を潰されたらそれももう、かなわない。
乞食をして貯めた金で依頼する、自分の目をろうそくで潰した与力への仕置き。
主水が乞食の財布を押し付けて言う。

「乞食の胴巻きは、くせえかよ!だが、これだけは覚えておけ。乞食が20年かけて汗水たらして貯めた金で、てめえらを仕置きしてくれ、と言ってるんだ!」
凄まじい話が続きます。

2話の桜舞い散る中、おきんが走って逃げ込み、鉄と錠が走って迎え撃つシーンはいつ見ても綺麗。
「捕まえろ!」と命令されても動かない主水と、鉄があげる黒い笑い。
とても正義側とは思えない、闇に浮かぶ2人。

そう、「仕置人」は自分たちを正義とは思っていない。
表で裁けないものを、裏で制裁する時点で、自分たちの行為が正当化できないことを知っている。
だが、「のさばる悪をなんとする。天の裁きは待ってはおれぬ。この世の正義もあてにはならぬ」から動く。

それで今、テレビ埼玉では「仕事人III」がスタート。
すごいですね、2つ続けて見ると、どうしても「必殺」の変遷を感じずにはいられない。
70年代初頭と80年代のドラマ、比べちゃいけないのはわかってる。
2つの「必殺」、2つの主水。

そういうのが受けた時代でも、どうしても「仕置人」の濃密なドラマに比べて、「仕事人III」は軽くて明るいと思ってしまう。
どうしても晴らせない恨みと、怨念こもったお金を得て、やってはいけない殺しに動く。
「必殺」は制裁のカタルシスと、それをしても取り返せない空しさのドラマだった。

それが時を経て娯楽のショーになったんだなあ…と思います。
90年でもない、00年でもない、2010年代になって見るから、そういうのを冷静に見てしまうのかも。
目を潰され、相変わらず乞食をしている男に向かって、自分の仕置料を投げる錠。
チャリンという音で、乞食が投げ込まれた金を噛んで、小判と知る。

見えない目で、誰なのか辺りを見回す。
誰かわからない。
黙って立ち去る錠。

神か、仏か、わからないけど、誰かそう言う人がこの世にはいる、と思ったか。
やっぱり俺は3両もらうべきだったかなあ…、とヘソくりする主水。
女をたくさんはべらせて飲む鉄、半次。
こっそり、鉄が投げた金をくすねるおきん。

何かのメッセージを伝えようとする作品も大切だけど、視聴者を楽しませようとする「娯楽」番組を作ってくれるのも、大切なこと。
だから「仕事人III」で「必殺」を知って楽しかった人や、これが好きな人がいても全然かまわないと思う。
人を楽しませる、人が見たいと思っているものを見せるってことを、やってくれないなあ…と思う作品もあるから。

それで、「仕事人III」に、そういう魅力はあるんでしょうが、やっぱり「仕置人」はすごい。
荒削りで洗練されてはいないかもしれないけど、かっこいいね!と思いました。


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2011.02.10 / Top↑
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