「必殺仕事人V 風雲竜虎編」再放送が終わりました。
初めて見たと思います。

影太郎とお玉が大道芸人なので、「仕業人」の剣之介とお歌を思い出しました。
武家の出身でインテリな影太郎の設定も、剣之介を思い出しました。
しかし、剣之介は愛するお歌の為に人を斬り、侍を捨てて追われる身。

かたや、高遠藩に入ることもできる影太郎。
2人の境遇は、天と地ほども違います。
剣之介は、表の顔すら持つことができないんですね。

そこからして違うんですが、剣之介とお歌はもう、まともな勤めはできない。
大道芸でしか、生きる術がない。
ですが、剣之介の芸は、お歌の曲の後にただ、居合い抜きをするだけ。

剣之介は顔をさらせないので白塗りにしているんですが、その白塗りの大男が何をするか、通行人は興味で立ち止まるだけ。
それで、そんな芸だけなのでお金など入れてくれるはずもなく、立ち去ってしまう。
誰が見たって、そんな芸で食べていけるわけがないんです。
なので、旅の空で会って一度だけ組んだ市松の紹介を頼りに主水を訪ね、どうしたいのか尋ねられると「殺しだ。今の俺にはそれしかできそうもねえ」と言うしかない。

剣之介とお歌は河原のほったて小屋に住んだり、橋の下にいたり、剣之介がお尋ね者だからいつも白塗りかお面をかぶっている。
それで剣之介は、元武士。
武士以外で生きていくことなんか、考えもしなかった人でしょう。

そういう剣之介が主水と、武士について話したりしていると、お歌にはわからない。
剣之介には教養があることも、見えたりする。
お歌とは、本当に身分の垣根を越えて来たんだな、ということも見える。

そこへ持って来て、今の生活。
この落差と武士のプライドと、お歌に対する愛情が入り混じる。
お歌にしても、自分の為にそこまで堕ちてくれた男とどこまでもという気持ちが見える。
そこからしてもう、全然違うんですが、影太郎とお玉は何だか余裕なんです。

「仕置人」の鉄と正八、おていなんかだって組んで嘘芝居をやったり、スリをやったりしていた。
表商売の為に誉められた行為じゃないこともしてたんですが、そういうこともない。
今までの殺し屋が全員、表稼業で胡散臭いことをしていたかというとそういうわけでもない。

表稼業は真っ当に、まじめにやっていた者もいる。
でも、何か違う。
そこまで考えて思ったんですが、いつからか、殺し屋たちから裏稼業の人間に付きまとう暗さ。
正義とは言いがたい、悪の気配、背徳の香りがなくなっているんですね。

殺しを生業にするには、相当のものがあるはず。
だから、真っ当な職業を持つ主水が殺しをしていることに対して、不信感も持たれ、対立も生まれた。
殺し屋1人1人、密偵に至るまでドラマが作れた。

なのに、この辺りは、出てくる殺し屋たちの背負っているはずのものが今までと違って軽く感じてしまう。
それでは、殺し屋たちにドラマが生まれないのもしかたない。
いつか、彼らに精算の時がやってくるのではないか。
そういった緊迫感もない。

でも、時代がそれを望んだ結果の作りなんでしょう。
だからこそ、「仕事人」はここまで続き、そして現在に至るまで、人の印象に残っているわけですから、決して失敗とかいうわけではない。
見せたいもの、作りたいものもやりつくした感じもありますね。
それに、「必殺」シリーズ中、「仕留人」と重さを争う「仕業人」を思い出すことが間違いなんでしょう。

「風雲竜虎編」最終回まで見て、そんなことを思いました。
しかし、「必殺」にあった背徳の香りは魅力的でしたね。
演じた俳優さんたちも、それまでは正統派みたいな人たちがいたのを思えば、かもしだすそれは、とても見事だったと思います。


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2011.10.27 / Top↑
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