こたつねこカフェ

癖のある俳優さん、悪役さんが大好きです。時代劇、ドラマ、映画、俳優さんのことを好きに書いています。
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「お前はようやった」 坂の上の雲 最終回(2/2)

満州の花揚樹。
好古は、電報を受け取った。
それはサダが、6月19日に病没した知らせだった。
好古は墨をすりながら「淳は間におうたかのう」と言った。

津田沼駅、セミの声が聞こえる中、真之が戻ってきた。
季子が頭を下げる。
「季子」。
「お帰りなさいませ。よく無事で」。

真之は家に戻ると、家族が頭を下げる。
奥の座敷に、白い布を顔に伏せたサダが寝ている。
真之は枕元に立ち、膝を折った。

サダをじっと見つめると、制帽を脱ぐ。
「日本海の海戦に勝ったことをお知らせしたら、本当に喜ばれて。一時はお元気になられたんです。淳が帰って来るまでうちは決して死なん。待っててやるのが、母の務めだとおっしゃって」と多美が言う。

「義姉さん。長い間、本当に母がお世話になりました」と、真之が頭を下げる。
「いいえ、大好きなお母様でした」。
真之は母の顔を覗き込むと、白い布を取る。
「お母さん…」。

じっとサダを見つめる。
「お母さん、生きとるうちに帰っこれんで、すんませんでした。」
真之は、懐剣が乗った母の胸をそっとなでる。
「父さんによろしくのう。サダ、サダ言うて、あの世でも首を長うして母さんを待っとるはずじゃけん」。

「母さん。わしは…世の中のお役に少しは立てたんじゃろうか」。
「教えてくれんかのう。母さん」。
多美も季子もじっと、真之を見ていた。

夜。
真之は起き出し、蚊帳をまくって縁側に座る。
「眠れませんか…」。

季子も起き出して、真之の側に来る。

「真之さん」。
「季子」。
「はい」。
虫の声が響く。

真之は庭に下りる。
季子が思わず止める。
「どちらへ」。
「散歩じゃ」。

「こんな夜更けに…。おやめなさいまし」。
「寝付かれぬ。気晴らしにちょっと行ってくる」。
季子が背後から真之にしがみつく。
「離せ」。

「嫌です。やっと…お帰りになられたのに。「この日をどんなに心待ちにしていたことか」。
真之は、「…海軍を辞めようかと思う」と言った。
季子は、まるで真之がどこかに行ってしまって、会えなくなるかのように止める。

「死んだ人間を仰山見すぎた。わしはもうこれ以上…、人が死ぬことに耐えられん」。
季子を見つめる顔が歪む。
泣き崩れる真之。

「坊さんになりたい。坊さんになって戦没者の供養をせにゃならん。対馬の海には日本とロシアの将兵が仰山、沈んでおる」。
「わしは坊さんになりたい。日本人もロシア人も等しく、供養をしたい」と手を合わせる。
季子も思わず、手で口を抑える。
泣いている真之を抱きしめる。

ロシアの帝政は強大な軍事力を持つことによってのみ存在し、国内の治安を保ってきた。
それが崩壊した以上、日露戦争はロマノフ王朝そのものを、崖っぷちに追い込んでしまったことになる。
この時、ロシアに講和を働きかけたのは、米国大統領セオドア・ルーズベルトだった。

日本側の講和先遣大使には、小村寿太郎が命ぜられた。
伊藤博文以下は、小村に全幅の信頼を寄せていると言って送り出した。
「君が帰朝の折りは、例え誰1人出迎えの者なくとも、余だけは必ず小村くんを迎えに来る」と伊藤は言った。
「ルーズベルトが…、どう出るかが鍵になりましょうな」。

明治38年9月5日。
ポーツマスで、日露講和条約が調印された。
しかし日本は、ロシアから賠償金を得ることはできなかった。

ここに大群衆が登場する。
大群衆の叫びは、平和の値段が安すぎるというものであった。
講和条約を破棄せよ。
戦争を継続せよ、と叫んだ。

国民新聞をのぞく、各新聞はこぞってこの気分を煽り立てた。
9月5日、日比谷公園で開かれた全国集会は3万人が集まった。
彼らは暴徒化し、政府はついに一時、戒厳令を引かずにはいられなかったほどであった。
小村を迎えたのは、伊藤博文だけだった。

勝利と言うものは、絶対のものではない。
敗者が必要である。
伊藤が、小村に手を出し、小村は頭をたれている。
ロシアは自らに負けたところが多く、日本はその優れた計画性と敵軍のそのような事情の為に、きわどい勝利を拾い続けたというのが、日露戦争であろう。

連合艦隊が、横浜沖で凱旋の式を行った翌々日。
真之は、朝早く、まだ暗いうちに家を出た。
途中、団子を食べ、うぐいす横丁の子規の家を聞いた。
義太夫のお師匠さんかなんかですか?と、そこの娘は言った。

真之が、子規の家の前まで来る。
子規が死んで、3年が過ぎていた。
真之は門をじっと見つめると、何も言わずに立ち去る。

坂を上る真之の後姿を、家から出てきた子規の母が見た。
曲がっていく真之の後姿を見て、母は干し物をしている律に、淳さんがいたように見えたと言う。
律は表へ走っていく。
だが真之の姿は、もう見えなかった。

真之はその後、3キロの道のりを歩き、田端の子規の墓まで行った。
まだ墓碑はできていなかったが、その草稿だけはできていた。
墓こには子規が残した俳句、短歌のことは何も残されておらず、自分の名、生国、父の藩名とお役目、母に養われたこと、勤め先、享年、月給の額が書いてあった。

真之は丁寧に墓参りをして、拝む。
子規の墓をじっと見つめる。
やがて、雨が降ってきた。
真之は立ち上がり、天を仰ぎ、立ち去っていく。

律は洗濯物を取り込む。
「さっきのお人、間違いなく淳さんじゃと思ったんだが」と母が言う。
「淳さんなら軍艦に乗っておいでじゃけん。人違いじゃろう」。

「そうかのう」。
「そうに決まっとりやす」。
戸口の方を見て、律が目を閉じる。
律が母を見ると、母は雨の庭を見ていた。

真之は鉢をかぶり、子規の墓前を後にし、雨の坂を下った。
道は飛鳥山、川越へ繋がる旧街道である。
雨の中で緑がはるかにかぶり、真之はふと、三笠の艦橋から臨んだあの日の日本海を思い出した。

坂の上から見る風景。
鉢を深々とかぶった真之は、まるで僧侶のようだった。
真之は結局、海軍を辞めなかった。

明治の日本語は、外来語と旧来の体制が崩れたことで混乱したが、その中で規範とするべき日本語があった。
それらを書いたのは子規であり、漱石であり、また真之の連合艦隊の解散の辞もそうであった。
東郷が読み上げる。

「百発百中の一砲 能く百発一中の敵砲百門に対抗しうるを覚らば 我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず 惟ふ(おもう)に武人の一生は連綿不断の戦争にして時の平戦に由り 其の責務に軽重あるの理なし」。
「事有れば武力を発揮し、事無ければこれを修養し 終始一貫その本文を尽くさんのみ」。

「神明はただ平素の鍛錬に力め(つとめ) 戦はずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に 一勝に満足して治平に安ずる者より ただちにこれをうばふ 古人曰く勝って兜の緒を締めよ、と」。
真之は前を向いて聞いていた。

明治39年1月、乃木の第三軍が凱旋した。
乃木は明治天皇に拝謁する時、児玉に呼び止められた。
「乃木よ、乃木のジジイよ。その格好で陛下に拝謁するのはいかがなものかのう。戦場の埃にまみれておるではないか」と児玉は言った。

「ようやく、終わったのう。また生きながら得た」と言う児玉に、乃木は「うん」と答える。
「これから先き、一体どうなるかのう。一つじっくりと見届けねばなるまいのう」。
乃木は言う。
「何一つ、変わりはせん」。

「そうかのう?」
「うん」。
「そうかのう…」と、外を見る児玉。

前を見て進む乃木。
見送る児玉。
乃木は角を曲がって、見えなくなった。

維新後、日露戦争までと言う30年あまりは、文化史的にも精神史の上でも長い日本の歴史の中でも実に特異である。
これほど楽天的な時代はない。
無論、見方によってはそうではない。

庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く、民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり、女工哀史があり、小作争議がありでそのような被害意識の中から見ればこれほど暗い時代はないであろう。
しかし被害意識でのみ見ることが、庶民の歴史ではない。
明治は良かった、と言う。

「降る雪や明治は遠くなりにけり」という、中村草田男の澄み切った色彩世界が持つ明治が一方にある。
この物語はその日本史上、類のない幸福な楽天家たちの物語である。楽天家たちはそのような時代人としての体質で前をのみ、見つめながら歩く。
上って行く坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば。
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。

紅葉、雪、桜、そして緑。
子供たちが川で魚を取っている。
その子供たちがいる、橋の上を真之は兄の好古と歩く。

真之は好古と、海釣りに出た。
2人並んで、釣り糸を垂らす。
好古が「何十年ぶりかのう。お前とこうして釣りをするのは」と言う。
真之が「いや、あに兄さんとつりをしたことなぞ、一度もないぞね」と言う。

「そうか?そうじゃったかのう?」
「そうじゃ、一度もない。貧乏で貧乏で、あにさんは釣りなどして遊んだことなぞ、なかったでしょう」。
「そうか、それはもう、貧しかったからのう。お前はよう遊んじょったがのう」。

真之は笑う。
「あにさん」と真之が言う。
「なんだ」と好古が言った。
そして、「なんのなんの。お前はようやった。よう、やった、よ」と言う。

真之は黙って下を向く。
「この先、一体どうなるじゃろうなあ。お前にもわからんか」と好古が言った。
「…急がねば一雨来るかもしれんぞね」と真之が言う。
好古は笑う。

「それは急がねばならんな」。
「おっ!」
「やられた」。
兄弟は笑う。

秋山真之の生涯は、必ずしも長くは無かった。
大正7年2月4日、満42歳で没した。
前を向いて歩く真之。

臨終の時、集まっていた人々に「みなさん、お世話になりました。、これから1人で行きます」と言った。
それが最後の言葉だった。
去っていく真之の後姿。

道を自動車が行く。
その道を、好古が馬に乗っていく。
好古は、やや長命した。

陸軍大将で退役した後は故郷の松山に戻り、私立の北洋中学と言う無名の中学の校長を務めた。
「校長先生、おはようございます」と子供たちが挨拶をする。
「おはよう」。

昭和5年11月。
死の床に着いた好古は、数日うわごとを言い続けた。
「まだか。先陣じゃあ」。

多美はそれを聞いて、子供や孫たちに「お父様はまだ、満州の荒野をさまよってらっしゃるわ」と言った。
家族が集まってくる。
好古は「馬ひけい。行くぞ」と言って、宙を見つめる。
「奉天へ」。

多美が好古の手を取る。
そして、そっと肩に手をやる。
「あなた、馬から落ちてはいけませんよ」。
「ああ…」。

好古は目を閉じる。
呼吸が静かになる。
多美が見つめる。
手を握る。

そして、傍らの椅子に座り込む。
好古が目を閉じる。
医師と看護師が、出て行く。

長い廊下を歩く看護師。
右側は大きな窓だった。
光が差し込んでいる。

一面の光で、窓の外の景色は見えない。
やがて、看護師が角を曲がり、見えなくなった。
窓一杯に、広がる青空が見える。



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