こたつねこカフェ

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一人ぼっちの軍隊 「ランボー」

ベトナム戦争の映画というと、「ディア・ハンター」。
地獄のような戦場で、悪夢のように行われていたロシアンルーレット。
帰還兵はドラッグと心の病でボロボロになりながら、その怖ろしかったロシアンルーレットを止められない。

なぜ?
そこに心が置いてきたままだから。
心を取り戻したいから、離れられない。

そして、ロバート・デニーロの「タクシー・ドライバー」。
ベトナム帰還兵の主人公は、不眠症だ。
だから、タクシードライバーを職業に選び、やがて街のダニを掃除していく。
ベトナム戦争を描いた映画の主人公たちは、あの戦争で精神が壊れてしまっている。

「ランボー」も同じ。
ランボーの原作は「たった一人の軍隊」。
原題は「First Blood」、「最初の血」。
要するに先に手を出したのは、そっちだというような意味らしい。

冒頭、唯一生き残った戦友を訪ねたランボーに対し、戦友の家族はまるで悪魔が来たような顔をする。
やっと訪ねた友人は、強靭な肉体を誇っていた友人は、ベトナム戦争の影響の病に倒れ、やせ細って死んでいったらしい。
傷ついた気持ちのランボーは、街に立ち寄ろうとした。
しかしそれを見た保安官は、ランボーを引き止める。

最初にランボーに手を出したのは、街の保安官。
たまたま通過して食事でもしようと思った街の入り口で、保安官がランボーに目を止める。
保安官はランボーを明らかに胡散臭い目で不審者扱いし、追い払う。
だが先に進もうとしたランボーに保安官は腹を立て、連行する。

そして侮蔑的な扱いをし、ランボーのひげを剃刀でそってやろうとした時、ランボーにベトナムで切り刻まれた経験がフラッシュバックしてくる。
たちまちランボーは保安官たちを叩きのめし、バイクを奪って山に逃走。
保安官たちはランボーを狩りに、山に入る。

ランボーは次第に、ベトナム戦争時の戦闘モードに戻っていく。
保安官たちに重傷を負わせたランボーは、グリーンベレーの生き残りという情報が入る。
州兵たちが動員されるが、特殊部隊の精鋭中の精鋭だったランボーは捕獲できない。

戦ううち、ランボーの精神はベトナム戦争に戻っていく。
やがて戦いはベトナム戦争の如く泥沼化し、大きくなっていく。
小さな街はこの戦いに巻き込まれ、さながら戦場と化して行く。

ランボーはベトナムでは特殊部隊で、人を殺すのが仕事だった。
「闇の殺し屋、それがランボー」とトラウトマンは言う。
しかし、それは戦場でのこと。
一般社会だったら、ランボーは殺人犯になる。

だから帰還した今でもランボーからは、血の匂いが消えない。
街の平和を守る保安官から見たら、ランボーは血の匂いがしている危険な男。
保安官の直感からしても、後にトラウトマン大佐に「よそ者」と言うほど、よそ者に拒絶感を持つ特長からしても、とても街に入れる気にならない。
もちろん、そんな風に最初にランボーに対応した保安官が悪いんだけど、そうやって考えてみれば保安官にしてみたら放置できない。

ランボーは、自分への理不尽に対して戦う。
保安官たちは、平和を守る為に戦う。
互いの主張は違っているが、両方にとっては正当な主張であり、どちらもこの主張は譲ることはできない。
こちらも、さながら戦争が起きる時のよう。

80年代にベトナム帰還兵を扱った、アメリカのドキュメンタリーを見ました。
その中でランボーを自分だと思ったと言う、特殊部隊の男性が出てきました。
彼は後ろから背中を叩かれただけで、相手を反射的に締め上げてしまう。

絶対に自分の背後に、そっと近寄ったりしないでくれ。
声をかけてから、近寄ってくれ。
家族にもそう言っていた。

だがある朝、彼を起こしに、姪っ子が入ってきた。
姪っ子は無邪気に、彼のベッドに近づき、体をゆすった。
その瞬間、彼は姪っ子の首を絞めていた。
姪っ子の顔色が変わって、彼はハッとして姪っ子を手放した。

その日の夕方、彼は家を出た。
もう、人がいるところでは暮らせない。
いつか、誰かを殺してしまう。
以来、彼は山の中で、1人で暮らしている。

80年代、アメリカではゴールデンゲートブリッジの下なんかで、ベトナムからの帰還兵が暮らしてましたね。
戦場を思わせる場所にいる方が、安心なんだそうです。
悲劇…。

ずっと「一人ぼっちの戦争」を戦後およそ30年に渡って続けていた日本兵・小野田少尉
小野田少尉を投降させる唯一の方法は、上官による命令解除しかなかった。
ランボーもまた、特殊部隊のトラウトマン隊長の説得によってしか、投降しない。
戦争とは、兵士とはそういうものなんでしょう。

期間が長ければ、長いほど。
犠牲が大きければ大きいほど。
仲間や部下の死を目の当たりにしていればこそ、そういうことがなければ投降できない。

暗闇の中、トラウトマン大佐の声が無線で流れる。
「点呼を取る、ランボー…」。
その声にランボーは答えずにはいられない。
「みんな、死にました…」。

これはランボーにすれば、「奴らが仕掛けた戦争」なのだ。
ランボーは戦う。
それはまるで、兵士たちの怨念が暴れ狂っているようだった。

こんな殺戮のプロに対して、兵士の怨念に対して、平和時の警察も軍隊もまったく歯が立たない。
ランボーとの力の差こそが、ランボーの置かれてきた地獄を物語る。
そしてランボーは最後に、トラウトマン大佐に泣きながら訴える。

戦場では100万ドルの武器を扱っていた。
だがここでは、給料100ドルの駐車場係の仕事さえない!
戦場では友達がいた、だがここには誰もいない!
あなたには戦争は過去だ、だが俺にとっては何も終わっちゃいない。

兵士全員が恋焦がれたアメリカ、故郷。
ランボーはバラバラになった戦友の手足を必死で集めた、その間、友人は家に帰りたい、家に帰ってあの車を運転したいとうめいていた。
そういった友人の悲惨な最期を見て来たランボーは、生きてその故郷に帰ってきた。
だが帰ってきたランボーたちに浴びせられた言葉は反戦運動の人々の「ベトナムで赤ん坊を殺してきた男!」「靴に血がついてるぜ!」だった。

俺たちは人殺しじゃない。
戦争に大義が必要なのは、こういうことなのかと思ってしまう。
しかし圧倒的な平和主義者と反戦主義者たちの前に、ランボーたちの戦いの意味などなかった。

戦場にも行ったことがない人が、必死で戦ってきた俺たちを、死んだ仲間を全否定するのか。
自分たちは何の為に戦ってきたのか。
アメリカは、平和主義者の市民は、自分を人殺しとしてしか見ないというのか。

お前たちを、アメリカを守ろうとした意思が、死んだ者には、俺たちにはあった。
なのに、それさえもお前たちは認めようとしない!
だからベトナム帰還兵の怨念が、ベトナムで死んだ兵士たちの無念が乗り移ったようにランボーは怒る。

肉体的には脅威のサバイバル能力を身につけ、超人的な強さを誇る。
だからこそ、普通の感情を備えた心が壊れたままであることが、一層悲劇的に感じる。
さまよえる兵士の魂が、救いを求めて、救われない。
映画はランボーの野獣のような瞳の中に絶望の光を見せ、「It's a long road…」と言う歌が流れて終わる。

くだらないことですが、1作目の「ランボー」で、ランボーが破壊する店に、ひよこのライトがありました。
ひよこが何匹か並んでいて、先頭がニワトリで、順番にそのライトが点灯していくんです。
ランボーに店ごと破壊されてしまうんですが、あのライトが気に入ったので壊すぐらいならくれ~と思ってました。
貰ったって、電気代と場所考えたら利用できないんですけど。

アメリカにはこの時の反省があって、だから戦争からの帰還兵を批判しないよう、今は気をつけているのだそう。
ランボーは、超人的な肉体と戦闘能力と戦場でのサバイバルを可能にする精神力を持つ男。
同時に傷ついた心を持ち、現代社会では、不器用にしか生きられない。
だからこそ自分の信じた者だけは守ろうとし、それを壊そうとする者への怒りを感じた時、ランボーは最大限に力を発揮する。

2作目、3作目はそういったランボーのアクションを描きました。
しかしラスト、任務は遂行してもランボーの心はまだ救われてはいなかった。
ならば年月を経て4作目ができたなら、アメリカから、故郷から、誰かから「おかえり」「お疲れ様」「ごめんね」と言ってもらってほしいと思っていました。
その時、ランボーの戦争はやっと終わるのでしょうから。


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