「夜行観覧車」が最終回でした。
原作が犯人探しがメインのミステリーじゃないから、知らないで見ていた人に真犯人に「あっさり」感があったのでは。
よくここまで真犯人を明かさずに引っ張ったな…、って感じたかもしれないですね。

しかし、石田ゆり子の演技は、心優しいセレブ妻が犯行にいたる説得力を持たせましたね。
あの心情、パニック状態をうまく表現してくれてました。
いい女優さんだと思う。
つまりは、事件の起きた高橋家に淳子は後妻として入った。

亡くなった先妻の子である長男は、京大にストレートで入るような優秀な子。
父親の後をついで、医者になることは確実。
この長男と父親である夫が、リビングにある先妻の遺影に向かって手を合わせる姿は淳子に不安を抱かせていた。

自分はセレブ出身じゃない。
下町育ちで、学歴も高くない娘だった。
それが高橋家の後妻に入った。

傍目には、淳子は成功者として映った。
事実、妹はそう思って姉をねたんだこともあった。
だが淳子の心の中は、決して穏やかではなかった。

コンプレックスの虜となった淳子。
夫の私への愛情は、先妻への愛を超えていない。
自分が産んだ長女は夫の血を引いてか、成績優秀。

だが、次男は運動神経こそ良くて学校のアイドル的存在だが成績は悪い。
このままでは内部進学は無理で、別の高校を進められているほどだった。
自分ばかりか、子供でまで先妻に負けるなんて!

そう思うと、淳子は次男にプレッシャーをかけてしまう。
次男の大好きだったバスケのユニフォームを切り刻み、シューズを捨て、勉強一本でがんばるように。
あくまで態度は優しく、優しく、だが心には暴力を振るった。

淳子にとって、次男が長男のように医者になって、そして初めて自分は高橋家の妻であり、母親になれた。
先妻にも、誰にもコンプレックスを感じず生きていける道はそれしかなかった。
夫はただの一度も淳子と先妻を比べたりしなかったし、長男と次男を分け隔てたこともなかった。
だから淳子の思いはバカな考えだったのだが、淳子はただひたすら、そう思い詰めた。

やがて精神的に追い詰められた次男は、隣の真弓の家の娘の綾香が学校でのいじめから家で暴れ始めたのに触発され、同じように叫び声をあげ始める。
次男を力で止め、冷静にさせた夫から、淳子は教育方針を正された。
夫は、医者になどなる希望を持っていない次男に、得意な道に進ませればいいと言う。

医大に行かなくてもいいと。
それぞれに合った道があるのだと。
淳子のやり方は、良くないと。

そして決定打の一言。
「死んだ人には勝てないんだよ」。
夫の言葉は、ただ、死んだ人にはその先はないという意味だった。

だけど自分たちは、生きている。
これからも、生きていかなければいけない。
今、大切なのは生きている人間だ。

自分の今の幸せは先妻じゃなくて、自分たち家族、淳子、3人の子と仲良く暮らすことにある。
それが一番重要なことなんだ。
しかし、夫の真意は、パニックになった淳子には届かない。

淳子にとって夫の言葉は、永遠に先妻が自分の上で君臨するという宣言だった。
そして、夫に次男が見捨てられると同じ意味だった。
自分の人生の否定。
敗北。

遠藤家で、真弓が綾香に否定された時と同じ。
私の一体何がいけないの、幸せになろうとしただけ、夢を実現させようとしただけじゃないの。
あの時、真弓もパニックとなり、綾香の口をふさいだ。
そのまま、窒息させそうだった。

淳子はとっさに、夫を次男のトロフィーで殴ってしまった。
夫が倒れる。
淳子がパニックを起こし、叫ぶ。

まるで夫が、誰かに殺されたかのように叫ぶ。
早く、早く来て。
死んでしまう。

だが夫はまだ、生きていた。
目が見えない。
そう言って、夫は自分に手を伸ばした。
殴った自分に。

手を離さないでくれ。
近くにいてくれ。
夫が懇願し、淳子が夫の手を握る。

生きている者が一番、大切。
自分のそばにいてくれる人が、一番大切。
夫の手は、そう言っていたのに。

次男は必死に、母親をかばおうとしていた。
全ての原因は、自分だと思った。
長男が父親を殺した母と、自分たち兄弟を守る唯一の方法は、父を暴君にすることだった。

「生きている人間が大切。生きている人間は、これからも生きていかなければいけない」。
自分たちが被害者になれば、世間も同情してくれるかもしれない。
そんなのは嫌だと、長女は叫ぶ。

高橋家が、遠藤家が住む、ひばりヶ丘。
そこは誰もが憧れる街だった。
だが住民でない者が憧れから入っても、幸せに暮らせるなど、ありえない街だった。
しかし住民でさえ、みな、本当はそれぞれ、秘密を持っていた。

「お前の家は壊れている」。
真実を隠すため。
指摘されないため。
絵に描いたような幸せで、人がうらやむ人生を送っていると思われなくてはいけない。

そのためには人を攻撃し、軽蔑するしかない。
ひばりヶ丘にふさわしくない家族として冷たい仕打ちを受けた遠藤家に、淳子が優しかったのは自分と同じだったからだ。
下町で育ち、家柄も学歴もない淳子は、本来ならひばりヶ丘の住人ではなかった。

淳子にとって、高橋家の人間となり、先妻と肩を並べるということは次男に長男と同じ、いや、それ以上の道を歩んでもらうことだった。
その夢が否定された時、淳子は自分から自分の家を壊した。
遠藤家の真弓は思う。
事件が起きるなら、自分の家だったのに、と。

最終回、淳子はいつか、家族で観覧車を見たことを思い出す。
夫の声を、その手に触れることがもうできないのがつらい。
そうしたのが自分だということが、今は何よりつらい。
抜け殻のようになった淳子に、3人の子供が面会する。

赦すとか赦さないとか、ない。
家族だから。
高橋家も、遠藤家も、少しずつ、立ち直っていく。

遠藤家の綾香も、学校でいじめていた仲間に決別を言い渡す。
自分が優位だと思っていた相手からの反撃に、仲間は打撃を受けた。
ひばりヶ丘の住民も、ここで暮らす決意をした高橋家を守っていく。
危ういながらも、人々は再び歩き始める。


できすぎた先妻の影に苦しめられる、庶民出身の後妻というと映画「レベッカ」ですね。
レベッカを崇拝する老齢に差し掛かった侍女が、後妻を追い詰める。
だがそれは虚像。
レベッカは、賢妻でも貞女でもなかった。

映画のラストは、燃える屋敷。
燃える侍女。
燃えていく、レベッカの虚像。

「夜行観覧車」の最終回を見て、ふと、ヨーロッパの階級について教えてもらった話を思い出しました。
庶民の行く店と、貴族階級の行く店はレストランやクラブはもちろん、パブも違う。
だけど庶民は貴族階級の店になど入りたくないし、玉の輿に乗り、あのクラスに入ることが幸せと思っていない。

「違う」のだから。
それぞれに感じる「義務」も「苦しみ」も「幸せ」も違う。
困窮さえしなければ、人はそれぞれのフィールドで生きていくのがいいのだと。
無理がなくて一番幸せだと、ヨーロッパの古い階級を知り尽くしている人は思っていると。

自分に自信がもてなかった淳子だけど、母親の違う長男と他の2人があんなに仲良し。
非常事態に接していたということもあるし、長男が本当に幼い頃に先妻がなくなったということはある。
しかし、この「兄弟仲良く」「いつか兄弟のありがたみを感じる時が来る」。
これが淳子がいい母親であり、妻であったことの証明じゃないでしょうか。

幸せなんて、気の持ち方だなあと思ったドラマでもありました。
楽天的に、「やっほー、うちの子は頭がいい子はいるし、次男は運動神経いいし」と思えるような人だったら…。
ドラマにならないけど。

「夜行観覧車」の最終回は、希望を持たせるラストでした。
今度のことを乗り越えたそれぞれの人は、助け合って生きていく。
それがいつか、自分も助けること、相手を赦すことが自分を赦すことだと知って。

次男が溺れそうになった時、父親が口をゆがめて笑っていたように見えたから、何かあるのかなあと思いました。
でもあれは考えすぎで、そう思わせること自体が、淳子サイドの見方だったのかもしれない。
納得いかないところ、どうなったのか気になるところも残しましたが、3ヶ月楽しみました。


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2013.03.22 / Top↑
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