こたつねこカフェ

癖のある俳優さん、悪役さんが大好きです。時代劇、ドラマ、映画、俳優さんのことを好きに書いています。
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さようならで御座います 「丑三つの村」感想

「犬丸継男くん、ばんざーい!ばんざーい!ばんざーい!」
最初に言ったように、かつてのビートたけしはギャグで、両手を棒のように挙げて万歳を連呼した。
映画を見た人には、あっ!となるシーンだったと思う。

万歳の声に送り出されていくのは、ビートたけしとコンビを組んでいたビートきよし。
だから、このギャグだったのか。
いや、それだけとは思えない。

なぜならこれは、ものすごいシーンだから。
これを、このシーンをギャグに使う当時のビートたけし。
「ブラック漫才」。

自分を育ててくれた祖母を残虐な方法で手に掛けることによって鬼と化し、殺戮に向かうシーンなんだから。
たった一人の軍隊。
一人ぼっちの出征。
孤独な、継男の、孤独な戦場。

ドキュメンタリーじゃないから、ドラマだからか、継男という犯人に感情移入するようにできている。
でも別に、犯罪を肯定するためにやっているわけじゃない。
だけど、冷酷な狂気が爆発しての事件ということなら、「八つ墓村」の方の描写がそうなんですね。
これは青春映画。

というか、理解を超える事件の場合、どうにかして理解しなきゃ怖くてやってられない。
被害者にも非があるとか思わないと、怖くてやっていられないんでしょう。
それが時には、とてつもない誤解と第二の悲劇を生むわけだけど。
ただ、この事件を題材に映画を作った場合、こういう解釈で作るのもありなのかと思う。


冒頭、兵士を送り出すのに駆け出して途中でつまづく継男。
これが後の継男を象徴しているのか、していないのか。
帰っていく継男が見るのは、鶏虐待。

ここね、嫌なシーンなんです。
弱いものいじめと言うか、抵抗できないものをみんなで鬱憤晴らしにいたぶっている。
ここも、鶏を後の継男や村の男たちに投影させているシーンなのか、そうでないのか。

鶏と言えば、継男がいよいよ、凶行に及ぶ晩、おばやんが電気がつかないのを知って、「今日はけったいな日や。鶏は急にしんでしまいよるし」と言う。
ここいらの描写はないけど、継男がおそらく、すべて終わりにするつもりだから、鶏もしなせて行ったんでしょう。
しかし、凶行に及ぶ継男が表に出た時、鶏小屋に「コ~、コココ」とつぶやく鶏の姿があるのに、私はホッとした。

さて、出征を見送って家に帰る継男が道でさわやかに挨拶すると、みんな挨拶してくれる。
小高い森の上から見た村の風景。
何度も出てくるこの風景は、最後に怖ろしい風景に変わる。

つぶれそうな小さな家々。
障子が破れ、茶色くなっている戸口。
ここではピンクや水色などのパステルカラーは、存在しない。
きらびやかな光というものも、見かけない。

鉄やプラスチックや、ビニールなどの工業製品は目に入らない。
かやぶき屋根、わら、石。
素朴で粗末で、何もかもが茶色く、古く、すすけている。
どこでロケしたのかわからないけどこのすすけた感じ、今は作ろうと思っても作れないんだろうな。

その村で、継男が始まって以来の秀才と言われている。
特別扱いされている。
継男の祖母は、原泉さん。

怖いおばあさんを演じたら、天下一品。
ハリウッドにだって、こんな怖いおばあさんはいないんじゃないかという女優さんだけど、ここでは継男に優しい祖母。
これがまた、うまい。

継男の夢は兵隊になることだが、おばやんは誇らしげに見送ると言ってくれる。
だけど継男が出征したら、大声上げて泣くかもしれないと1人になってつぶやく。
あの子が自分を置いて、街の学校になど行くわけがないと言う。
村のはみ出し者、よそ者と遭遇して、おばやんのことを言われて温厚な継男が怒る。

継男がいかにおばやんを大事に思っているか。
自慢の孫をかわいがるおばやん。
継男とおばやんの絆。
見ているだけで、これから後の展開の切なさが胸に迫ってくる。

忠明たちよそ者の暴れる場面では、村ではこの忠明と称するよそ者たちがどんな扱いを受けているかがわかる。
村がどれほど閉鎖的かも、わかる。
そして、継男が胸が悪そうなところも。

そしてやってくる、ミオコ。
五月みどりさん。
色っぽい。
ミオコとの会話から、村がみんな血縁関係にあるような間柄だとわかる。

この血の濃さ。
閉鎖的社会。
継男の先輩の哲夫の「しまいにゃ、ばちあたるで!」の言葉が、この村の行く末を暗示する。
怪しげな商売をしている様子ではあれ、外の世界を知っている哲夫には、この村の異常さが客観的にわかる。

継男は村の子供たちを集めて、話をするのが好きだった。
子供と遊ぶ継男が、最後に子供まで…。
古尾谷さんはどう見ても、おとなしく、頭のいい継男だ。
どう見ても秀才の性格のいい青年の継男が、なぜそんな狂気に至るのかと思う。

だが子供は夜の夫婦の様子を、無邪気に演じてみせる。
継男は何のことかわかるから、どぎまぎする。
しながらも、どんなかちょっと聞いてみる。

狭いこの村で家で、性が開放的というか、乱れるというか、そうならざるを得ない状況ということもわかってくる。
後にミオコとだって継男は、子供が何人も寝ている次の間で情交に及ぶのだから。
哲夫に言われて夜中に散歩してみた継男は、えり子が村の有力者・勇三と絡み合っているのを目撃する。
その後、自警団の男たちに遭遇し、勇三のずるさ、大人のずるさに触れる。

青年らしい正義感3割、えり子、いやもやもやした下心7割といったところでえり子を訪問。
継男を誘惑するえり子、池波志乃さんのことを「昼間から布団でだらしないかっこをしていても絵になる女」と称した文章を読んだことがありますが、まさにこの本量発揮。
うろたえるどころか、継男を堂々と誘惑、押し倒す。
継男なんかひとたまりもないですね。

次は、ミオコの誘惑です。
この辺り、継男、古尾谷さんはまだ女性たちに翻弄される純情少年。
さて、いろんなことがちょっと気になるお年頃の継男には、気になる幼馴染がいる。
無邪気な、かわいいやすよ。

このやすよと継男も、実は従兄弟ぐらいの間柄。
だから結婚は、できない。
つまり、そのぐらい、この村の血は濃い。
しかし継男が結核でなかったら、一緒になっていたと思われる。

やすよを演じる田中美佐子さんが、本当に初々しく、かわいらしい。
この暗く、血なまぐさく、息が詰まるような悪意の渦巻く村で、彼女だけが清らか。
彼女だけが健全。
病んでいく継男がなおさら彼女に惹かれるのも、当たり前。

継男と一緒に村を見つめていると、村が夕焼けで真っ赤に染まっていく。
もう、この村の惨劇、忠明らに降りかかる運命をはっきり示している赤い色。
不吉な色。

哲夫の半ば受け売りかもしれないが、継男は自分も誘惑されて乗りかかっているのに、この村の人間関係と行動が気持ち悪いと言う。
まだ、継男は青年らしい健全さを失ってはいなかった。
それに対して、やすよは言う。
女は寂しいんだと、やすよは言う。

この閉鎖的な社会。
逃げ場がない社会。
男にすがるしかない社会。
その中でやすよが小さな幸せを感じるとしたら、好きな男と一緒になることだけだと言ってるように見える。

そして悲劇は、さっさと来る。
結核の診断。
呆然として、立ち上がれない継男。

だけど、軍医からの結核の診断の後、すぐに村人が継男を無視し始めるのって早い。
情報が早すぎる。
娯楽がないんだ。
外の世界とか、村のほかに目を向ける場所も視点もないんだと思う。

そして村人の変わり身の早さ、豹変。
昨日まで秀才天才と持ち上げられていた継男には、つらい。
おばやんにも、つらい。

あれだけ継男を誘惑したミオコが、徹底的にキスを拒む。
最後には「最初から嫌いやったんよ」と、拒絶する。
露骨に誘惑していたえり子にも、拒絶される。

やることがない、誰にも相手にされない継男は山をうろうろしていた犬に吠え掛かる。
この後、継男はこの犬をつれて歩いている。
まさか、この犬も殺さないよね…。

そのシーンは嫌だなあと思っていたら、犬はいつの間にかいなくなっていた。
ほっ。
ディレクターズカット版では、犬についてのシーンもあったのかもしれない。

そしてやすよは、継男と引き剥がされるように嫁に行かされる。
私、嫁に行く先がてっきり隣村かなんかだと思ったら、やっぱり村の中だった。
どれだけ血を濃くするんだ。

誰にも相手にされない継男に唯一、和子だけが優しい。
継男も和子に惚れられていると思ってしまうほど、優しいのか、継男がまだちょっとうぬぼれる余地があったのか。
だが和子は、哲夫といちゃついていた。

血が濃いと言いながら、和子といちゃついていた哲夫。
しかし、外の世界を知っている哲夫は、先輩としてふさわしい態度で継男に接する。
哲夫は、新井康弘さん。
新井康弘さんのキャラクターは、この役が一番生きている気がします。

哲夫の忠告も聞かず、継男は夜這いに行き、間違えて母親の布団に入る。
この時の継男はかなり、情けない。
そして、和子に、母親に思い切り傷つけられる。

和子が、一番ひどい豹変をする。
優しかっただけに、恨みが深い。
注文が厳しくて縁談をまとめるのが大変だったと言う、村のおばちゃんの言葉からすると、和子は結構な野心を持っていた女性なんだろう。
継男にも村一番の秀才への野心のみで親切にした、したたかな女性だということがわかる。

そして継男は、村の暗黒部分を目撃する。
忠明を私刑にかける村人たちの様子は、まさしく鬼だった。
常識人であり、青年らしい潔癖さをまだ失わない継男は駐在に、忠明は自殺ではないと言う。
しかしそれは秀才と言う地位を失い、ごくつぶしと言われる身分になった継男の行動としてはあまりに危険なものだった…。

この継男を笑う男たちの目が、ものすごい怖い。
ああ、閉鎖的な社会って怖い!って思ってしまう。
笑っているのに誰一人、目が笑っていない。
みなさん、熱演です。

特に凄みがあるのは、後の烈堂さまこと、夏八木勲さん。
みんなが笑っている中、1人笑いをやめて継男を凝視する。
ああもう、殺すことに決めたんだなと読める表情です。
この時は、夏木勲という表記ですね。

自衛の手段として、継男は銃器を買い求めたように見える。
殺されないために、武装する。
殺されないために、殺す。

しかし、山の中で恨み深い常代の名前を書いた等身大のわら人形を相手に銃の訓練をする辺りは、自衛というより、恨み。
今見ると、継男が大量殺戮に走るまで、あまりの大量殺人に走るまでが弱い気がしてしまった。
何もそこまでする必要あるか…という感じだけど、ここまで陰湿なエピソードが重なった上に、継男がねちこくいじめられるところをあと30分も描かれたらたまらない。

今、ディレクターズカットなんかが出たら、そこのところが丹念に描かれていたのかなと思う。
でもここに至るまで、もうひとつ、恨みが重なる描写があれば、継男の行動に自然さが感じられたのかもしれない。
または私刑と、常代と和子のシーンが逆ならすんなり理解したかも。
ミオコの夫の中次とのもめるシーンがあったら、もっと理解できたか。

それでも村人の狂気が、継男の狂気を呼んだという解釈もできる。
山の中で人形を撃つ継男の顔に、狂気が宿り始める。
夜中、継男は「犬丸継男の戦場」と書いた地図を広げる。

そんな状態に来て、やすよの結婚が壊れた理由をその本人たちに話す嘉子。
どれだけ、継男をバカにしているか。
継男は自分をバカにしたより、おばやんがかわいそうだったのではないか。

ここで継男は嘉子に、今にバチ当たると言う。
今度は哲夫の受け売りではない。
継男をバカにしているうち、村人たちは継男の存在を軽く見るようになっていたかもしれない。
だがミオコは怯える。

ミオコの家に入った後、中次と対峙した時の継男は、中次には一応礼儀正しかった。
この中次が、石橋蓮司さん。
「ミオコ、お前!」
「お前は呼び捨てにせんでええわい!」の辺りが、おかしい。

これが決定打になったか、継男はおばやんを哀しませないために先に殺して、凶行に及ぶ決心をする。
だがおばやんは察知して、逃げ出す。

一度は逃げたおばやんだが、刑事にはしらを切りとおす。
おばやんはあくまで、継男のために生きているのだ。
この辺りのおばやんが愛しく、悲しい。

おばやんが逃げた後、探しに言った継男は、やすよが風呂に入っているのを見る。
思わず押し倒し、「俺がもろうたる。俺の子供生め。村一番の子供や!天才と別嬪さんのガキや」と本当はずっと言いたかったことを言う。
さらに「俺の血や。立派な…肺病病みの子や!」と自嘲する。

しかし突如、発作はやってくる。
血を風呂に吐いてしまった継男は、自分の現実を思い知った。
頭を冷やす、自分を笑うために、お湯を頭からかけた継男に、やすよは自分もかぶってみせる。

「そんなこと、私はかまわない」。
運命共同体。
二人で何度もお湯をかぶり、彼女の気持ちを見た継男は彼女だけは自分の運命に巻き込むまいと走り去る。

哲夫は嫁入りする和子を見ていた継男を、未練たっぷりかと言ったが、そうではない。
もう、継男には和子は標的以外の何物でもない。
継男が守らなければならないのは、おばやんとやすよだけ。

哲夫が諦めたように、入隊を告げる。
「行きとおても行けん奴。行きとのうても行かんならん奴。うまいこと言うな」が皮肉な響きを持つ。
継男はうらやましい。

行くべきところに行けて、死ねる哲夫がうらやましい。
「行けるところがある人は、ええわ」。
もうすぐ戦争に行かされる哲夫は、何かを察したのか。

銃を買い込んできた継男の前に、やすよが現れる。
かつて、無邪気に遊んだ山で、道が完全に分かれてしまった2人が会う。
やすよはまた、嫁に行かされる。

以前、やすよは村の女は寂しいと言った。
でも継男だって、寂しいのだと言う。
頭がいいだけに、いろんなことが見えてしまって、単純に快楽には走れない継男こそ、寂しかったんだと思う。
そして今は本当に孤独になったのだと思う。

この映画は、情交のシーンが丹念に描かれている。
でもこのシーンは、男性サービスシーンと言うだけじゃなかったのかもしれない。
継男の大人への変化と、狂う段階を示すためのシーン。
人と最も濃密につながろうとする、継男の寂しさを描くためでもあったのかもしれない。

それが裏切られたとき、深い恨みに代わる。
濃密であれば、濃密であるほど恨みは深い。
恨みの深さを描くためにも、情交のシーンは丹念に、濃密に描かれたのかもしれない。

やすよと最後の別れをした継男を待っていたのは、ミオコの家が夜逃げ同然にいなくなった知らせだった。
継男が原因だと、継男は八一に責められる。
ほとんど、私刑・死刑の宣告がされる。

「逃げられた」と継男は言ったが、この事件を描いたマンガ「負の暗示」にもあるように、ミオコには継男を追い詰めた自覚があったのだろう。
継男の絶望が、ミオコには見えた。
だから危険を察知した小動物のように、ミオコは一家を連れて逃げた。

手先が器用で頭がいい継男が、犯罪に向かってまっしぐらになったらどれだけ怖いか。
自転車用のライトと、懐中電灯を結び、カチッ、カチッとつけてみる。
ライトに照らされた継男の顔は、まさに鬼になっている。
「こらやっぱり鬼や」と、満足そうに言う。

そして何度も見慣れた風景が出てくる。
村の、小さな家が立ち並ぶ、小川の風景。
「皆様方よ。今に見ておれで御座いますよ」。

出ました。
宣伝コピーにもなった、セリフ。
しかしこのセリフ、もっと恨み深く言うかと思ったら、あっさりと言っている。

だからこそ、怖い。
もう、殺すことは、未曾有の大量殺戮は遂行されるだけだ。
彼の中では、何の罪の意識も、人の命の重みもない…。

やすよにもらった組みひもを取り出し、首に巻きつけ、自分で自分を締めて「ぐえっ」「ぐえっ」と舌を出し、声を出す。
彼ももう、生きているつもりはない。
インテリの穏やかな継男青年は、もうどこにもいない。

やすよに手紙を出しに行く継男は、ニワトリの羽を拾う。
忠明らが殺したニワトリ。
だが、継男はニワトリにはならない…。
そんな熱い決心が感じられたわけでもなく、こちらが思っているだけで、継男は淡々と羽を拾い、捨てる。

犯行当日の夕焼けは、わざとらしいほどの血の色だった。
でもこれは不気味。
赤い闇の中、継男が電線を切る。
始まる。

おばやんが、ニワトリは急に死んでしまいよると言ったところからすると、継男はニワトリも後顧の憂いなく、毒殺してしまったんだろうか。
あ~、犬をどうこうするの描写がなくて、良かった。
しかし後に継男が家から出るとき、家の入り口の小屋にはニワトリがいるのだった。

和子が戻ってきているのを知った継男は、これぞ天の助けと言った風に喜ぶ。
ゴーサインだ。
その夜、村は不吉なほど、静かだった。
この時流れるシンセサイザーの音楽が、シーンに向いていないと言われているようですが、この静けさには合っている気がします。

誰も動いていない。
小川が流れ、木々がざわめくだけ。
時計の音が響く。

ここで音楽を鳴らしても、吸い込まれていくような静けさ。
落ち着きのない私は、こういうのがダメ。
こういうのが怖い。

ガシャガシャ、パッパー、ジャンジャン、ザワザワしているのが安心。
田舎暮らしができないですね。
私は寂しがりやというのではなくて、臆病なんだと思う。

そしてついに訪れる、惨劇の時。
実際の犯人もこんな風に時を待っていたのだろうかと思うほど、リアルな描写。
1時の鐘が鳴るまで待つ。
戦場だから、下着まで全てを着替える。

継男はこんな時でも律儀、まじめ。
この律儀とまじめが虐殺に向かうんだから、とんでもないことになるわけだ。
装備していくあたりから、じわじわと盛り上がっていく。

おばやんを殺すシーンは、私はやっぱりひどいと思いました。
「俺を夜叉にしてくれぃ!鬼にしてくれ!」
自分を愛し、育てた祖母を殺して継男は文字通り、鬼になりました。

「犬丸次男くん、ばんざあーい。ばんざーい。ばんざああーい。ばんざああ…い」。
たった一人の出征。
誰も見送ってくれない出征。

もう、誰も、自分を愛してくれた人はそばにいない。
だから、継男は自分で自分を祝う。
想像を絶する孤独。
飛び散った血で染まる、継男の顔、日本刀の柄。

ついに始まる殺戮は、音楽もなく、リアルだ。
闇の中、継男の頭の懐中電灯と胸のライトだけが動いているのを見ると、実際はこんなだったんじゃないかと思える。
最初の犠牲者は、壮絶な表情で殺される。
寝込みをいきなり刺されるって、実際はこんななんじゃないかと思わされる。

しかしこれはまだ始まったばかり。
血の飛び散り方、流れ方。
逃げる人、はいずる人。

恐怖で声も出ない人。
撃たれた人。
主に逃げる人をカメラで追っているせいか、みんな、ものすごく芸達者でリアルなのだ。

常代に向かって、銃口を向けながらの継男の「くそばばあ。夜這いに来たで」は、ものすごい。
怨念爆発。
「結婚、おめでとうさん」もすごい。
まさにこれは今までの仕返しだということを物語っている。

和子の口への銃口押し込みは、ぎゃーやめてやめてと思った。
これはね、この和子は想像を絶する恐怖だと思う。
匕首で止めを刺すんだけど、これはもう、匕首でよかったと思ってしまう。

次の、やすよを追い出した文明の家庭への襲撃は、子供も巻き添えのまさに鬼。
ここはやっぱりひどく残酷。
闇の中、逃げていく文明を継男のライトだけが照らし、後は真っ暗というのがリアル。

文明が逃げ込んだ家の者にも銃を向けるけど、老人の必死の悪口を言わなかったという叫びで、継男は撃つのをやめる。
このあたりが継男がいかに、悪口を言った人間を恨んでいたかがわかる。

そして栄子のいる家。
栄子が気丈で、「おかやん、どないしたんや!」と叫ぶ。
この人は本当に継男が嫌いでいそう。

しかしそんなことが今の継男に通じるわけがなく、アッサリ撃たれる。
ここは皆殺し。
布団をかぶった老人まで、撃っている。

次は恨みの深い八一。
襲撃されるまで寝ていたみたいなので、案外わからなかったんですね。
もうパニックになっているから、子供だろうと妻だろうと盾にしそうになる八一。

真っ暗な家の中、ライトが八一を照らしている。
逃げていく八一をカメラが追うのが、すごくリアル。
これ以上の恐怖はないといった表情で、八一が逃げていく。

3人の若い女性は、絶叫しながら逃げる。
最後の1人が田んぼの中で撃たれるんだけど、人間は必死になるとああやって逃げるだろうと思う。
そして何かを感じたやすよが戻ってきて、継男にもうやめてとグシャグシャの顔をして訴える。

次の嘉子への「おばちゃん、こっちや」が笑いを含んでいる。
太一の必死の抵抗もむなしく、匕首で止めを刺される。
この後、ヤギの乳を搾り、喉を潤す。
「はー、はー…。よしっ!」

もう、人を殺しているとは思えない。
実際にはこんなになっちゃってるのかもしれない。
この日常感が怖い。

そして恨みの深い勇三。
しかし、勇三は殺せない。
「時間がない」と言うのは、一体なんだ。
まだ警察は来ないけど、えり子を撃ちもらすのを怖れたのか。

一見、助かってラッキーな勇三だけど、生き残ってかつての勢いが保たれたとは思えない。
知り合いが、この事件のあった村の近くが出身地なんですよ。
それで、この知り合いの家に行くのに、事件のあった村のほうを通っていった人がいる。
知り合いの家の人がそれを知ったとき、「良くあんなとこ、通れたね」と言ったらしい。
当たり前なんだけど。

「なぜ?」と愚問を投げかけてみたら、「地元の人間だってあそこは通らない」と言う。
「どうして?」とさらに頭の悪い質問をしてみたら、「気持ち悪いでしょ!」と言う。
70年経ってても。
そんな状況で、あの勇三がまともにやっていけたのか。

あの辺りの村の人が今もあそこは通らないと言うぐらいなので、生き残った彼への風当たりは相当きつかったと思う。
1人残されて、勇三こそ生き地獄だったんじゃないか。
正気でいられたのか。
それを言ったら、やすよが心配だけど。

継男の最後の目的の、えり子。
池波志乃さんの恐怖の表情、逃げる様子は白熱の名演技。
まさに恐怖そのもの。
妻をかばうおっちゃんとのやり取りが、妙におかしいのがかえって悲劇。

「ここがいかんのや」。
倒れたえり子の着物の裾をめくるあたりがもう、戦慄。
ここは銃声も消して、ただ血が飛び散るだけ。
しかし凄絶な殺し方…。

終わった。
この直後に流れる青春映画の音楽風の曲が、おかしいという意見を聞きました。
私はこれで、ああ、これは青春映画なんだと理解しました。
惨劇の青春。

やすよの腹に耳を当てて、聞こえる…と言うが、本当に継男の子供はいたんだろうか。
いたとしたら、やすよはその子供をどう育てて行ったんだろうか。
この後、やすよは、村はどうなったんだろうか。

夜が開けて、確か原作では継男は村を見下ろして、150人ちょっとしかいないこの村はっ今日から火が消えたようになるぞ…と思うんですね。
やすよにもらった紐を捨てる。
鬼になった自分にはもう、安らぎはない。

朝露を口にして、末期の水。
銃を口にくわえ、「皆様方よ。さようならでございますよ」。
このセリフが、古尾谷さんと重なってたまらなくなる。

古尾谷さんの熱演。
この映画が、古尾谷さんという俳優を知られるために残ってよかったです。
古尾谷さんを見るてめだけに見てもいいぐらい、彼は「犬丸継男」を生きてます。

無茶な言い方だけど、彼は自殺しちゃいけなかったなあ…。
すごくいい俳優さんだよね…。
それだけにつらかったんだろうけど、悲しい。
胸が締め付けられるラストシーン。

音楽が流れる。
青春音楽のような曲が。
そして、スタッフの名前が出て、最後に田中登監督の名前が出る。
灰色の山に、血を思わせる夕焼けか、赤がかかったタイトルバック。

「終」の文字。
そして銃声が響く。
悲しい。
切ない。

しかしこれしかなかった…。
終わるなら、これしかなかった。
そう思わせるラスト。
悲劇、惨劇、継男の人生、映画が終わる。


惨劇の映画だけど、古尾谷雅人さんを見る映画と言ってもいい。
彼もまた、好きか嫌いかは、人それぞれと言える個性の強い俳優さん。
私生活について、夫人が書いていた著書を読んで、思うことはある人もいるでしょう。
しかし、優作氏についても言えることだけど、それぞれに言いたいことがあってもこの映画の、この時の古尾谷正人という俳優は輝いている。

永遠にこの姿は、スクリーンに残る。
だからか。
だからなのか。

最近、おなくなりになった俳優さんたちのスクリーンでの輝く仕事を見ることが増えました。
自分がリアルタイムで見た映画の出演者さんたちが、おなくなりになってしまっているということなんですが。
リアルタイムで見た時より、一層その姿が強烈に見えるんです。

経験から、感情移入することが出てきたということもありますね。
もう会えないという、心理的な作用。
それと、こちらも年齢を重ねたから、彼らのすごさ、すばらしさが年月を置いて、冷静に見て判断できるようになっているのも大きい。

だとしても、彼らの輝きは心に残る。
俳優さんたちが、スタッフさんが、映画に心血を注ぐ理由がわかる気がしました。
その後に何があったとしても、その時の彼らの輝きが永遠に刻まれるからでしょう。
古尾谷さんにとって、この映画はまさにそのひとつだと思います。
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