チャンネル銀河の6月の特集は、松田優作氏。
ということで、「蘇る金狼」を見ました。
これはこの俳優さんでなくては成立しない、または全然違ったものになる。
そういう作品が俳優さんの代表作だとしたら、この映画は松田優作氏の代表作だと思います。

この前、古尾谷雅人さんの没後10年と言うことで、奥様がある番組で語っていらっしゃいました。
その番組内では、古尾谷さんのことを「ポスト松田優作」と呼ばれていたと紹介していました。
そういうこともあって、松田優作氏という俳優さんについても見ながら考えてしまいました。

松田優作氏が今生きていたら、どうだろう?
わからないけど、すばらしい作品を残したかもしれない。
ハリウッドに進出したかもしれない。
そういう夢を、今も見せる俳優さんなんだと思います。

優作氏がなくなった時のことを、前の奥様の松田美智子さんが書いていました。
美智子さんと優作氏の関係や、優作氏が夫としてどうだったかは別にして、それはつらいものでした。
ハリウッドで映画に出て、その後まもなく死んで伝説になったなんて、生きているこちら側が思うこと。

当然、優作氏は、まだまだ死にたくなかった。
ものすごく無念だったと思います。
そうなるのは、ものすごいことだとしても。
優作氏は伝説になんかならなくていいから、もっともっと生きたかったはずです。

それをわかっていてもこの映画を見て思ったのは、今の芸能界に優作氏がいたら、非常に生きづらいだろなということです。
今、60歳を越した優作氏がいたらいたで、存在感は発揮していたと思います。
だけど今の芸能界、映画界、テレビ界で、彼の出番があっただろうか。
古尾谷雅人さんが行き詰まったと聞いて、「そうだろうな…」と思ってしまったのと同様に、優作氏も思うような活動はできただろうかと思ってしまう。

松田優作氏も、古尾谷雅人さんも、画面の向こうからこちらを挑発し、ケンカを売ってくるような目をしてました。
油断すると、刃物でも突きつけて来そうな危険を感じさせる。
扱いづらそうな、それでいて古尾谷さんは繊細な脆さを持っていた。
優作氏は、アッサリと破滅しそうな刹那さを持っていました。

それは演技だけではなく、実際に彼らはそれに近い性格だったように思えます。
少なくとも、そう思わせた。
こんな俳優さんが、今の芸能界に生きる場所があるだろうか。
彼らを自由に暴れさせて、それでいてまとめられる度量と技術と、いろんな意味で力を持った人がいるだろうか。

たとえば優作氏が健在だったとして、自分のやりたい企画をやったとする。
でも今は、それが受け入れられるような時代だろうか。
まずその企画自体にいろんな規制や抗議を考慮した製作側が、受け入れないんじゃないでしょうか。

さらに彼らの妥協できない、人に愛想を振りまけない性格が生意気だと言われ、バッシングの対象になる。
そんなことが起きたんじゃないかと思うのは、考えすぎでしょうか。
だからと言って、この時代の彼らを真似て、破滅的なものを作ってもわざとらしくなる。
こういうのは作る人、演じる人が悲劇に酔って、破滅するナルシストになってはいけない。

だとするとやっぱり優作氏や古尾谷さんのような、役がその人物の破滅の人生そのままのように感じさせる強烈な俳優さんじゃないと説得力がない。
しかし現在は、そういう俳優さんが強烈な個性を発揮する場がない。
時代が違う。
…話が、堂々巡りになってる。

それで今の時代に優作氏がいたとしても、とってもやりにくかったんじゃないかと思ってしまうんですね。
同時に…、古尾谷さんが行き詰ったのもわかる気がする。
しかし、「丑三つの村」を見直して、この人はすばらしい俳優だ、死んではいけなかったと強く思う。

こうやって考えていくと、現在のものは綺麗にまとまって、完成はされている。
だけど、「ちょっと、足りないものがあるな」なんて思ってしまうのは、私が懐古主義だから。
私が、あの時代に影響されて、それがまだ抜けないからなんでしょうねえ…。

今の時代には今の時代にあった才能があって、それが発揮されているのだと思うんですけどね。
その時代の中で、きらめいてる人も、確かにいるんです。
ただ、優作氏と古尾谷さんの主演作品を見ると、そのあまりの濃さにそんなことを思ってしまうのを許してほしい。
肉食獣のような目をした俳優がいて、彼らが襲い掛かってくるのが受け入れられた時代があったなあ…と。


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2013.06.19 / Top↑
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