2つ目の経験は、それから1年半後。
留学しているリヨンの町の、学生寮で経験した。
その寮は、昔は娼館だったらしいが、廃業後、学校が買い取り改造した。

1階は門番の老夫婦の部屋。
2階と3階が寮で、4階は元は女中部屋で、今は物置になっていた。
住んでいる学生は20数人だったが、クリスマスが近づくとみんな帰省してしまっていた。

冬のリヨンは霧が濃く、深く立ち込め、空はどんよりと曇り、ほとんど晴れの日がない。
午後4時ごろになると霧は街全体を包み、静まり返る。
クリスマス近く、この寮に残っているのは遠藤先生と門番夫婦だけだった。
もちろん、ほとんど交渉はないため、遠藤先生と門番夫婦と鍵は1つずつ持って出入りしていた。

4階建ての建物に、ほとんど1人しかいないというのは寂しいどころではない。
日本の密集した住宅とは違い、隣と隣は離れている。
廊下も部屋も静まり返り、自分の靴音だけが響く。

12月の22日の朝、遠藤先生は門番の夫婦の夫から、鍵をかけずに部屋に上ったと怒られた。
しかし遠藤先生は否定した。
神経質な遠藤先生は、何度もドアのノブを回して開いていないことを確認している。
だが門番夫婦は、ノン、扉は開いていたと言う。

「真夜中に階段を上がっていく足音がした」とも言う。
「何時ごろですか」。
「午前1時ごろだ。女房に時計を見てもらったから、間違いない」。

21日の夜がそんなだったので、22日の夜は遠藤先生は扉を何度も押して、開かないことを確かめた。
それから3階の部屋に戻り、本を読んだ。
いつもより霧が厚く、外を見ると街頭がぽつんぽつんと青くにじむように見えて、通りには誰もいなかった。
遠くで教会の鐘の音が聞こえる。

12時の鐘の音を聞いて、遠藤先生はベッドに入った。
異国で考えるのは、故郷のこと。
駅からの道、道端にある家、あんな家があった。
あの通りにはあんな店があった。

異国に1人でいる人間が考える回想。
寂しい回想。
その時、遠藤先生は足音を聞いた。

足音は階段をゆっくり上がってくる。
1階から2階へ、反響する足音。
足音が大きくなる。
3階に近づいてくるのだ。

遠藤先生は飛び起きた。
耳を済ませていると、足音は3階に上ると踊り場でしばらく消えていた。
だが今度は、4階に向かって上がっていく。

「誰ですか」と遠藤先生は声をかけた。
返事はなかった。
4階の物置部屋の戸が軋んで、閉まる音がした。

廊下に出た。
この時は遠藤先生は、浮浪者がねぐらを求めて入ってきたのだと思っていた。
誰もいない。

非常用のベルを押した。
門番がかけつけた。
「4階に誰かいる」。
階段の手すりから顔をのぞかせて、遠藤先生は叫んだ。

門番と遠藤先生は、建物の電気と言う電気をつけた。
さすがに建物内は、昼間のように明るくなる。
明るさに勇気をもらって、2人は4階に上がった。
物置の戸は、閉まっていた。

戸を開けると、かび臭い匂いがする。
物置の中には壊れたベッドや、マットレス、陶器があったが、猫の子1匹いなかった。
窓の隙間から、霧が入ってきていた。

玄関の扉を見たが、堅く閉ざされていた。
裏口も、他の窓も閉まっている。
ではあの足音はどこから始まり、どこに消えたのか。

その夜、門番夫婦は遠藤先生の隣の部屋に寝た。
遠藤先生はともかく、門番夫婦はひどくおびえたのだった。
そして足音はもう、二度としなかった。

学生たちがクリスマス休暇を終えて戻ってきた時、遠藤先生はこの話をしてみた。
「昔、ここの女中と恋仲だった男の死霊が、霧の夜に訪ねて来たんだぜ」。
したり顔で言う学生もいたが、もちろん、そんなことは作った話だ。

靴音を聞いたのは、遠藤先生と門番夫婦の3人だ。
幻聴とか、聞き間違いとは思えない。
あの学生寮には、こんな怪談ができて語り継がれているのかもしれない。
だがあのクリスマス近くに寮に現れた足音は、今もって理由がわからない。


冷えた空気。
どんよりした雲の下の、重苦しさ。
厚い霧の街。
まるでその中にいるような描写。

独りの寂しい異国のクリスマス。
そこでする回想が、リアル。
外国の夜、一人でするにはあまりに寂しい回想。
でもたぶん、そういう状況ではするであろう回想。

広い建物に響く靴音が、聞こえるよう。
静けさ。
足音の理由も、現れた場所も消えた理由も、2日だけで消えた理由も、わからない。
実話だから当たり前だけど、こういう不思議が一番不思議でリアリティがある気がする。

実は毎年あるけど、誰もいないからわからなかっただけ?
いや、だったら門番夫婦は知ってるか。
独りの雰囲気と夜の雰囲気が、怖さを増幅させます。

さて、2つの話はいずれもフランス。
だが最後、3つ目の話は日本で経験した話だ、ということで3つ目の話もあります。
これが同じ作家の人と一緒に、経験しているなかなか怖い話。

そして後日、遠藤先生はこの宿に再び、カメラマンと学生を連れて検証に泊まっているのです。
も~、さすが狐狸庵先生。
遠藤先生は幽霊屋敷に1泊して検証するという企画をやっていたようですが、これはその第1弾。

「夏のよき物語を、私たちは破壊してしまった」という結果に終わった話もあります。
しかしこの3つ目の幽霊話の検証は、最後にやっぱり「うわああああ」となっています。
他にもタイプを変えた「怖い」話が、何本も掲載されていました。
今読んでも、「うわあ…、怖いな」と思えた本で、年月が経っているのに怖いんですから、ほんとに怖い本だと思います。


スポンサーサイト
2014.11.09 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://kotatuneco.blog59.fc2.com/tb.php/2982-9dfddc0f