春日太一氏の著書、「時代劇はなぜ滅びるのか」。
非常につらい話ですが、うなづきながら読んでいます。
かなりな辛口ですが、著者は時代劇が大好きであることがわかります。

時代劇がおもしろくない、理由のひとつ。
「悪がいない」。
おお。
時代劇の悪は、「悪ぶっているお人好し」じゃダメ!

時代劇の悪は憎々しいまでの非道で、強くて良い。
狡猾で良い。
圧倒的な権力を持ち、それで主人公や庶民を上から押さえつければ良い。

人を人とも思わず、自分と同じ人間だと思ってない奴で良い。
ただ、自分の利益や歪んだ欲望から、人をもてあそぶ奴で良い。
こんなことをしていいのかという、後悔も悩みも持たない奴で良い。

そんな奴だからこそ観客は、それに立ち向かう主人公に喝采を送る。
どうにも許しがたい悪だからこそ、「こいつを斬らなければ!」と見ているこちらも思うことができる。
その目標達成に共感し、緊張し、応援することができる。

これ、必殺の基本でしたね。
ちょっとやそっとじゃくたばらない。
仕置きのしがいがある悪でなくては。
俺たちは悪の上を行く極悪になると言わしめる、強い悪でなくては。

春日氏は今の時代劇には悪は悪でつらい背景を持っているとか、実は悪人ではなかったというパターンが多すぎると言うんですね。
それじゃ主人公が必死になって戦う意味がない、と。
誰も彼もが哀しいなら、それは人間ドラマにはなるけれど、エンターテイメントとしてはぼやけてしまう。

今の監督が「七人の侍」を作ったら野武士たちがああなった境遇や内面まで、丁寧に描くだろうと春日さんは言います。
これは私も映画を見ながら、今なら野武士の側も同情すべき人間だということ、悲惨な境遇を詳しく描くだろうなと思いました。
自分たちがヒエを食べても、雇う侍に米を食べさせるほどの悲惨な境遇が百姓だけではなく、野武士も同じだった。
だとすると、死力を尽くして、自分たちの命と引き換えて野武士から村を守る侍たちの戦いが空しくなる。

誰も彼も悲しい。
そういう世の中が、つらい。
だからそういう世の中にしてはならない。
今は幸せだ。

こんな時代劇が多すぎると、春日氏は分析します。
そういうドラマも良い。
でもそれは人間ドラマにはなるが、エンターテイメントとしてはボヤける。

みんな良い人で悲しい人なら、「七人の侍」のクライマックスの激戦はあそこまで盛り上がらない。
どっちもつらいなら、最後のたたかいに「がんばれ!」「いけ、やれっ!」と声援は送れない。
そして最後の、「勝ったのは百姓だ。わしたちではない」と言ってもあれほどの感慨はない。

近年の時代劇が盛り上がらない理由は、この善悪平等をやりすぎるから。
時代劇で観客が主人公に最後に喝采を送るためには作る側が「『こいつが悪』だ!って、腹くくって圧倒的な悪を作ることが必要」と春日氏は言います。
ううむ、それはそうですね。

確かに、この果てに「悪にも愛する人がいた。悪を倒した者に、恨みを持った者はどうしたらいいのか?」
…なんてテーマで話を作ったから、「暗闇仕留人」は答えのない迷路のような強烈な印象を残したんでしょうね。
「新・仕置人」にも仕置人を恨む子供の話がありましたが、主人公のあり方をひっくり返されるような話になった。
あれほど卑怯で、執拗に襲って来た柳生烈堂が大五郎を抱き締めて「我が孫よ」と言うから、強烈なラストになったんでしょう。

山形勲や小沢栄太郎は、観客の憎悪を一身に集めるような「巨悪」「社会悪」を演じたら右に出るものがいなかった。
成田三樹夫、岸田森は冷酷で頭が切れる悪の芝居が一級品だった。
狂気の殿なら、菅貫太郎。
ずるい商人なら、浜田寅彦。

こいつがやられるのを見なきゃ収まらない!と思わせる。
「見ていてムカムカする、早く殺せ!」と視聴者から意見が殺到して、うれしいと言った佐藤慶さんや成田三樹夫さん。
物語に爽快感を与えるには、見ている人からの憎悪を浴びるような俳優さんの熱演が必要!
次の火野正平さんとともに、次の強烈な悪役さんが必要です。


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2015.06.20 / Top↑
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