「時代劇はなぜ滅びるか」の著者、春日太一さんが俳優さんたちにインタビューする「役者は1日にしてならず」。
中村敦夫さんのインタビューも出ています。
まず、俳優座について。

「きちんとしたカリキュラムでしたが、それが身につく人とつかない人がいます。私は、つかないほうでした。でも絶えずまじめに出席率100%で一生懸命にやった人が伸びるかと言うと、必ずしもそうではないところが、おもしろいところです」。

あの、これは私自身も思ったことがあります。
私はある研修ですごく成績が良かったんですが、私は「いや、こういう奴は実戦では使えないよ」と言ってました。
たぶんそうだろうなと思ってました。
実際、そうでした。

「ライバル同士の切磋琢磨と言うのも、それほどではないんだよね。スポーツマンは競えあえば試合で結果が出るけど、俳優の場合はそうではないので」。
「自由自在に遊びまわったほうが、良かった気がします。遊びまくっていた奴ほど、後で俳優として伸びて行った。太地喜和子なんて名女優になりましたが、養成所ではお酒飲んで遊んでばかりいて、みんな彼女が女優になれるわけがないと思っていましたから」。

でもただ遊んでいて、俳優として大成はできない。
やっぱり、素質なんでしょうね。
遊びから、いろんなことから吸収して演技の幅に、糧にできるというのも才能なんでしょうね。

中村さんといえば、「木枯し紋次郎」。
木枯し紋次郎について。
「市川監督は、現代感覚で時代劇をやろうとしていました。それで史実にない大きな笠と、長い道中合羽をデザインして。それを着る俳優は背が高くてなくてはダメということで」。

「監督の映画制作のお金も、企画からピンハネしないといけないので、スターは出せない。だから誰かいないかと言うことで、俳優座に連絡が来たんです。その時、僕は大河ドラマで石田光成を演じていた。それで市川監督にあったらすぐに決まったんです」。
中村さんは良く、謙遜してこの話を語ってます。
でも市川監督は中村さんが歩いてくるのを見て、もう、「ああ、紋次郎が歩いてくる」と思ったそうですね。

「今までの時代劇ではいないキャラクターですから、役をつかめないでいました。市川監督もそういう説明はしませんから。市川さんは自分のイメージした外形的な絵から入る人で、『そこで上を向いて立っていてくれ』『走って突然止まって、振り向け』としか言わない。なぜ上を向くのかわからないまま、やっていました。だから『紋次郎はこういう奴なのかな』と探りながら、つかんでいくしかなかった」。

仲代達矢さんもおっしゃってますが、市川監督は具体的なことは言わない。
画が頭の中にあって、それを作っていく。
それでいて、さらっと「下手だなあ~」とかおっしゃるそう。
でもそれが憎めない。

「テレビを蔑視してた映画人たちが、映画がダメになって、テレビをやらざるを得なくなって、その1作が「紋次郎」でした。将来の仕事もあるし、これをやらないと食えないから、みんな必死でした」。
「美術にしても照明にしても映画黄金時代のトップの面々が揃っているので、中途半端な仕事はしないわけですよ」。
「そこに今までの業界と縁のない僕みたいな人間が来たわけですからね。車持っていないし、電車でゴムぞうりでジーンズで来る。付き人もいない。カルチャーショックだったと思いますよ」。

撮影に来た中村さんを見た勝新太郎さんが、「何だあれ…」っておっしゃったことがあったそうですね。
何か、おかしい。
トイレに行って、かつらをぽんと窓辺に置いて忘れた中村さんがベテランの結髪師の方を「雷ちゃんさえいたら、こんなことには…」って泣かせてしまったエピソードも読んだことがあります。

「従来の殺陣ですと、踊りの基本を綺麗にやっていくんだけど、僕はジーパンにゴムぞうりで撮影所に来るような奴でしたから、そういうのができないんです。教えられてすぐ身につくものでもない。殺陣師の美山晋八さんが『これはあかん』と思って、『ドキュメンタリーでいこう』と」。
「脚だけは早かったから、全力で逃げて、敵は大勢で追っかけてきて後は勝手にやってくれと。しかも河原とか岩場とか条件の悪いところで、わざとやらせるんです。そういう発想も含め、天才的な殺陣師でした」。

「主役は転ぶし、追いかけてくる絡みはゼエゼエ言いながらふらついているから。綺麗事じゃない、殺し合いのリアルさが出たんだと思います」。
「実際の殺し合いってそういうものですよね。何がどうなるかわからない。それに北関東の寒村で、間引きされかかったような紋次郎が剣術なんてできるわけないですから」。

黒澤明監督は、京都のこの踊りを基本にした殺陣を崩したかったとか。
実際の殺し合いは、あんなもんじゃないだろうと思ってできたのが、「七人の侍」「用心棒」であり「椿三十郎」だと。
家の父は「木枯し紋次郎」のことを、「綺麗な殺陣じゃないんだよなあ。もうぐっちゃぐちゃで、どろどろで、みんなあんまり強いって感じじゃない。そこで勝っちゃう紋次郎がまた、すごいんだ」と言ってました。

中村さんは共演した三國連太郎さんについても、語っています。
とにかく役になりきる人。
「スパイゾルゲ」で共演した。

「あの人はもう、徹底的に化けきる。撮影の数週間前から、ドイツ料理しか食べていない。髪を染めて、青いコンタクトレンズをして、撮影所にグーテンモルゲンと言って入ってくる。そんな人に太刀打ちするにはどうしたら良いか、考えなくてはならない」。

できなかったら、ダメな俳優だと、演技ができない奴だと思われる。
中村さんが考えたのは、作りこんでくる三国さんに対して、何もしないこと。
そこで2人がやっていると、自然と呼吸ができてきたそうです。
だけどそんな三国さんも初めての演技では、主演の阪妻さんに下手で大笑いされたことがあるというんですから、みなさん、実は努力していらっしゃるんですよね。

そして大スター・三船敏郎さんのこと。
「半年ぐらい、毎日ご一緒させてもらいました。あの人は、本当に良い人なんですよ。豪快と思われがちですが、実はとっても生真面目な人で。朝、三船プロの前で掃除をしているんです。それでエキストラの人に『ご苦労様です』って挨拶をする、そういう人なんです」。
「ロケで何時間も2人でガンガンという、炭を入れたブリキ缶に当たりました。三船さんのことを怖い人だと思って、誰も近づかないんですよ。三船さんも口下手であまり喋らないから。僕は平気で2人で黙っている。時折、僕が冗談を言うと大声で笑った」。

こちらは中村さんが別の著書で語ったことですが、ある日、撮影で忍者が屋敷に忍び込むシーンを撮っていた。
その時、忍者の1人が塀を乗り越えられなくて落ちて、NGになった。
見ていた中村さんが「安い忍者を雇ったのかなあ」と言った。

その途端、カラスが飛び立つような大声で三船さんが笑った。
みんなビックリした。
後で「中村さん、何を言ったんですか」と聞いてきたそうです。

中村さんは三船さんのお葬式に出た中で、一番若かった。
自分はこの偉大なる大スターと共演した、最後の世代なのだと思った。
中学生の時に見た、黒澤映画では三船さんの印象は鮮烈だった。
良く真似をした。

銭湯の大人たちの話題は、「椿三十郎」のラストの三船さんと仲代さんの決闘のシーンだった。
だから、三船プロから話が来た時は感激した。
この出会いを与えてくれた運命に、改めて感謝したそうです。

「役者は1日にしてならず」の中に、綿引勝彦さんもいらっしゃいます。
綿引勝彦さんは、学生の時見た舞台が仲代さんの主演の舞台だった。
感動した。

だから「鬼龍院花子の生涯」で、仲代さんを狙う刺客の役で共演した時は感動したそうです。
胸も張り裂けんばかりだった。
「ついに、ついに、やっとここまでたどり着いたか」と思ったそうです。

仲代さんにそんなことは言わなかったけれど。
この綿引さんの話も、すごくおもしろいんですよ。
それで思ったんですが、こういう経緯をたどってきた人たちの演技が、心に響かないはずがないんです。

さて、中村さんは後に、キャスターになった。
「マニュアル的に同じ事を続けるのが嫌なんです。僕らサービス業は、驚きのあるものを提供するものだと思う。
安全だからやるというのは、時間を割いて見てくれるお客さんに対して失礼ですよ」。

「当時は俳優として一応は全国区になって、主演番組も次々とやって、そうすると自分自身が古臭くなっていくのがわかるんです。
パターンばかり要求されますから。それを死ぬまでずっと続けるのかと思ったら、ゾッとしちゃったんですよ。贅沢な話だけどおもしろくない。それで脱出したくなったんです」。

「人間と言うのは、誰でも演技者であると思います。社会を形成するのには、誰でも役割がある。それを果たすために、オヤジはオヤジらしくする。いつまでも若者みたいだったら困る。
子供が小さい時からオヤジらしかったら、大人の立場がなくなるでしょう。大人になったら、なおさらですよ。みんな、社会から台本を与えられているんです」。

「それを職業的身振りと呼んでいますが、その職業にふさわしい言葉遣いとか身振りとかがある。だから雰囲気を変えて演じないと、どんな仕事でもうまくいかない気がします」。
「人間と言うのはみんな俳優なんです。キャスターを演じる部分はありました」。

「政治家となると、ほとんど演技ですよ。街頭演説なんて、演技そのものです。自分に酔う。自分だけが正しいと思い込む。人に振り向いてもらうために、ここは声を大きくする、ここは笑わせる、ここは相手を攻撃する…と言い方を変えて工夫しなければ訴求力は生まれません」。
おおっ、政界入りしたこともある俳優・中村敦夫さんならではのお話!

中村さんは小説、シナリオも書いている。
「シナリオを書くのは、苦にならないんです。ピアノを弾く人も唄を歌う人も、うまい人に限ってそんなに努力しないでできてしまう。練習も人一倍やるけど、苦にならない。それが私にとってはシナリオなんでしょう」。

「演劇や映画の世界で人を自在に操ることができるのは、シナリオライターだけです。監督だって、脚本を元に人を動かしているんですから。どんな名優だって脚本がひどかったら惨敗です。これが同じ人かと思うぐらい、見る影もなくなってしまう。ですから俳優にも、脚本に関する努力は必要なんです。脚本に足りないと思うところは自分で補う」。

「でもやりすぎてはダメです。自分が目立つために、脚本にイチャモンをつける俳優はダメですよ。自分が目立ちたくて、そういう主張をする俳優はだめです」。
「僕は演出も脚本もやってきたから、自分の演じる役の全体での役割を先ず考えます。そこを勘違いして、自分のことしか考えない演技をすると、その芝居自体が壊れてしまいますから」。

「シナリオは歌で言う、メロディみたいなものです。それに沿って演じていけば形になる。それでも、空白の部分は必ずある。そこを埋められるかどうかが、その俳優が優れているかどうかの境目ではないでしょうか」。

いやいや、さすが中村さん。
もっともっと、この方のお話を聞きたいと思ってしまう。
中村さんと居酒屋でお酒を飲みながら、って私は飲めないんですけど、いろんなお話を聞くなんて企画があったら絶対参加しますよ。
いつも思うんですが、中村さんって人間的にもとても深い、優れた方なんだと思います。


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2015.07.11 / Top↑
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