近所に白い野良猫がいた。
少なくとも、2年前にはもういた。
家にいた猫が白い猫だったので、気になっていた。

しかし野良猫だし、向こうは私には見向きもしなかった。
あれは家の猫じゃないんだなと、そのたびに私は当たり前のことを思っていた。
最初は白かったその猫の目がやがて、目やにで一杯になっていた。

野良猫の現実を見る思いだった。
そのうち、その猫は一軒の家の前にいるようになった。
あそこでご飯がもらえるんだと思うと、ほっとした。

その家は立派な家で、良かったと思っていた。
この家が今年の夏、建て替えになっていた。
そしてこの猫が、この家の隣の空き家になった家に居るのを見た。
お前、連れて行ってもらえなかったのか…。

その猫はご飯がもらえなくなったらしいが、どうやら誰かがやっているようだった。
するとその猫がいる空き家のオーナーらしき人が、看板を立てた。
「猫の餌やり、迷惑です」。

猫はそれで、ご飯がもらえなくなったらしい。
でも猫は、その家の玄関前にいた。
しかしある朝、その猫が垣根から顔を出していた。
今まで無視していた私に向かって、猫が鳴いた。

「助けて」。
なぜか、私はそう言われていると思った。
駅に向かうはずだったけど、家に戻った。
いけないと思いつつ、ひとつかみ、家の猫のカリカリを持って、猫にやってしまった。

その次の日。
車を避けようと、その空き家の駐車場だったスペースに入った時。
こちらに向いた、赤い光に気が付いた。

監視カメラだ。
猫にご飯をやるには、ここに立たなければならない。
だからカメラを置いたのか。

こうなると、本当にもう、誰も猫にやれない。
しかし猫はずっと、ずっと、家の前にいた。
ここに猫がいる限り、私にもどうにもできない。

7月の13日。
月曜日。
会社帰りの私の前に、白い猫が出てきた。
猫が外にいる。

外に出てきたんだ。
猫が私を見た。
そして、私の後をついてくる。

何で?
ためしに止まってみる。
すると、猫も止まる。

ついてきている。
猫がついてくる私を、会社帰りの男性が不思議そうに見ている。
このまま、家までついてくるだろうか。

私が門の中に入ると、猫は駐車場の方から入ってきた。
入ってきたなら、しかたがない。
家の猫のカリカリを、白い猫にやった。

その翌日。
火曜日の会社帰りにも、同じことが起きた。
そして水曜日の朝。
猫はもう、私の家の前からどかなかった。

見ると、猫の片目は閉じたままになっていた。
もう片方の目も、ちょっと怪しい。
片耳は、かさぶたに覆われている。

もう片方の耳には、穴が開いていた。
すごい風貌だ。
でも、最初からそんな風貌だったわけじゃない。
野良生活の過酷さを見る思いがした。

浪人でも、片目でも、したたかに強く生きる丹下左膳という話がある。
私はこの猫を、左膳と呼ぶことにした。
左膳は、家の玄関前の、牛乳を配達する箱の上によくいた。

牛乳屋さんも左膳を見て、最初はビックリしたらしい。
でも「どいて?」と言ったら降りてくれた。
「ちゃんと人のことをわかってる」だと言う。
「良い子だよ」と。

私はまだ、左膳には触ることが出来なかった。
ご飯をやっていて、左膳は近づいた私の手に一度、猫パンチをしたことがある。
血が出た。

きっとずいぶん、怖い思いをしてきたんだろう。
用心しなかったら、やってこられなかったんだろう。
左膳を怒る気はしなかった。

7月の25日、家の猫の健康診断で獣医さんが来てくれた時、左膳を呼んだ。
左膳は私を見ると何かもらえると思って、車の下から出て来るようになっていた。
獣医さんは左膳の耳を感染症だと言って、薬を出してくれた。

お金は要らないと言ってくれた。
しかし私に、さわれない子は飼えないと言った。
それから安易に家に入れないように言った。

思っている以上に、いろんな菌を持っている。
家の猫に移ると、大変なことになるから。
私にもうっかり、左膳が接触した服で、家の猫に接触しないように注意した。

猫を飼う、面倒を見るなら、ちゃんと面倒をするべきで、中途半端はやるべきじゃないと思っている。
そして猫を飼うことは、そんなに半端な気持ちで出来ることじゃないと思っている。
だから、左膳を外で面倒見ることには抵抗があった。

でももう、左膳を放り出すことは出来ない。
誰かが面倒を見るとも思えない。
夏は暑い。
自分が外にいたら、つらい。

外にいる左膳は、つらいだろう。
だから冷却シートを買い、左膳がいる車の下に敷いた。
冷却材も置いた。
何とかして、涼しくしようとした。

獣医さんからもらった薬を混ぜて食べさせて2~3日目。
左膳はカリカリを食べなくなった。
食べないことは、体力を奪う。
そう思った私は、家の猫の猫缶を与えてみた。

缶を開けるのを見て、左膳は舌なめずりをした。
待ちきれないと言った風に、手を伸ばしてくる。
よしよし、と思った。

それから2週間ぐらいは、食べていた。
スプーンで口まで運ぶ。
すると、食べる。

猫パンチされないように、スプーンの距離を保って、食べさせる。
今日は10何回、おかわりをしたとスプーンを差し出した数を数える。
よしよし、と思っていた。

しかし、そのうち、左膳は家の前にいないようになった。
暑いんだろうな。
どこかで涼んでいるのか。

あんまり家の外に、出て欲しくない。
家にいるなら、私がいろんなことをやればいい。
片付ければ良い。

でも、外ではまずい。
私の家の敷地内でやることで、黙認されていることが、自分の家に影響を与えるようになったらそれはダメだろう。
そう思っていたから。

確かに文句を言う人がいても、しかたがない。
臭いし、放置してしまうといろいろと虫も寄ってくる。
私の家ならまだ何とかなるが、外ではまずい。

しかしまだ、左膳は家には入れられない。
さわれるようになって、それから獣医さんに診せて、治療して家に入れる。
家の猫との相性もある。

左膳のいた場所には、左膳のお尻から出たものがついている。
下痢なのか、粘液なのかわからない。
私は掃除しながら、心配だった。
体力が奪われないと良い。

そのうち、左膳は猫缶もあまり食べなくなった。
どうしても食べて欲しい私は、いけないことだが、かつおぶしをかけてやった。
何とか食べた。

左膳のために猫用かつおぶしや、かにかまを買った。
しかし、左膳は家に帰って来ても見なくなる日が続くようになった。
休みの日もいない。

そして8月18日の火曜日。
朝6時に外に行ったら、左膳はいなかった。
でも白い毛が落ちてるから、いたのかな?と思った。
夕べは激しい雨だった。

会社行こうと玄関出たら、玄関脇の牛乳箱の上に左膳がいる。
あっ、お前来たのか!
家に入り、ご飯をやったら食べない。

左膳はひょこひょこ降りて、家の脇の方に行こうとする。
そして、バケツをのぞきこむ。
水やったら飲まなかったんだが、もう一度、お皿に水をやったら飲む。

左膳は、家の駐車場に行く。
座り込む。
これは獣医さんに見せなきゃと思った。

7時30分というのに、獣医さんに電話をした。
獣医さんを起こした。
客観的に言って、私は迷惑な人だ。

獣医さんに、左膳がご飯を食べないと言うと、獣医さんはわかっていた風だった。
たぶん行ってもダメだろうと言う。
わかっているんだろう。

さらには野良だし、渋るのは当たり前。
この時間は助手もいないし、行っても見るだけになると言う。
それでも、家で死なれるの嫌ですと私も言う。

会社は?
遅刻しますと言うと、獣医さんは1時間くらいで来てくれると言う。
私はほんとに、迷惑な人だ。

まず、左膳確保のため、段ボール箱をかぶせる。
度々見に行くけど、左膳は出て行こうとする。
外に行こうとする。

止めなければ。
さわれる。
左膳に初めて、さわった。

軽い。
背中は背骨がゴツゴツ。
痩せてる。
毛があるからわからないが、思った以上に痩せていた。

再び段ボールをかぶせて、洗剤の箱を乗せて置く。
8時20分頃。
見に行くと、左膳はいなかった。

出発寸前の獣医さんに電話をして、いないと言うと、ゲージじゃなきゃダメだよと言われた。
また消毒して使えるんだし。
でも家のゲージは、大きくて持ち出せないのだった。

獣医さんはもう、車もエンジンかけてたと言った。
捕獲したら電話してと言うことで、お詫びを言う。
ほんとに、迷惑な人だ。

でも私は「たぶん、もう来ません」って言った。
たぶん。
獣医さんも、そう思うと言った。

その日の夜、左膳はやはり、いなかった。
左膳は片目だし、左耳には穴が開いてる。
右耳にはカサブタ。

すごい容貌だけど、最初からあんなだったんじゃない。
白くて尻尾が長い。
かわいがられる家の子なら、優雅な猫になったはず。
かわいそうで堪らなかった。

左膳は私を見て、小さな声で鳴く。
野良は言葉でコミュニケーション取らないから、私に向かって言っているはず。
いなくなった日も、私に向かって鳴いた。
飼えばかわいい子だと思う。

家の者は、左膳はお別れに来たと言う。
うちで死にたかったのかな、とも言う。
死なれるのは嫌だ。
どこかにいると思いたかった。

左膳。
助けてほしくてついて来たのに、助けてあげられなかった。
ごめん。

何もできなかった。
ごめん。

カリカリを食べなくなった時点で、獣医さんに診せていたら良かったのか。
最初はあんなに食べていたのに。
ごめんね、左膳。

バイ菌だらけと言われたけど、落ちてる左膳の白い毛を一束、拾ってケースに入れた。
座っている姿から、ちょっと、安心と幸せを感じたのは自分の思い込みだろうか。

友人に話すと、今までつらかった野良生活で唯一、安らげたんじゃないかと言ってくれた。
助けてほしくて来たのはほんとだろうが、あれをしてくれとか、できなかったとか、そういうのはおそらく、人が考えること。

犬や猫はもっとシンプル。
親切にしてくれる人。
こわい人。
好きな人。

会いたいから行く。
そういうものじゃないかと言う。
左膳は体を休めていて、動けるようになると行ってたんじゃないか。
単純に会いたかったんだろうと言ってくれた。

左膳がいなくなった日の前日。
私のいない昼間に、玄関前にへばりつくように左膳がいたことがわかった。
その人が近づくと、やはり左膳はどいてくれたらしい。
家に入ろうとはしなかったと。

かわいい。
いじらしい。
幸せにしてやりたかった。

あれから、雨が降っている。
左膳の上に、雨が降っているのだろうかと考えてしまう。
野良の一生とは、なんて過酷なものなのか。

飼っていたペットは虹の橋にいて、人が来るのを待っていてくれると聞いたことがある。
左膳もいつか、虹の橋にいてくれるんだろうか。

今年は庭のブルーベリーがよくとれた。
毎年、良いのは取る前に鳥に取られていた。
今年は左膳がいたから、鳥が来なかった。

ブルーベリーは左膳からの贈り物だ。
左膳はいつも、私が帰ってくるのを見て、車の下から出てきたり、家の前にいたりした。
ブルーベリーの夏が終わる。
左膳のいた夏が終わる。


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2015.08.30 / Top↑
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