どなたか上まで上げてください 「男たちの旅路 車輪の一歩」(2/2)

敏夫は尾崎のアパートで、尾崎たちと車椅子の5人を前に吉岡の話をした。
「俺達は、普通の人とはやっぱり違う人生を歩いてるとは思うんだ。吉岡さん良いこと言ってくれたよ」と重雄が言う。
「どういうこと?」

「だからさ、人に迷惑をかけることを怖がっちゃダメだって言うんだ。怖がってたら、部屋に閉じこもっているしかない。決心して迷惑かけても良いんだって」。
だが一郎は「どうなると思う」と言った。
「遠慮してても、俺達は迷惑な存在なんだ。それが遠慮しなくなったら、世間は何と言う。人の世話になっているくせに、何を思いあがってるって、叩いてくるに決まってるんだ。そういう時の世間はイジワルだぞ。かろうじて俺達が同情されているのは、俺達が遠慮しているからなんだよ」。

敏夫が言った。
「じゃあ今のままで良いと言うのか。遠慮して、おずおずして歩ける人間に恨みを持って、この2人にとりついたように、惨めに恨みを晴らして。隅で目をギラギラさせていればいいのか!」
重雄も言う。
「僕はあの人は良いことを言ってくれたと思うな」。
「じゃあ、やってみればいいさ。外に出てって俺を大事にしろ、俺を重んじろとわめいてみるといいんだ」。

「そんなことを言ってるんじゃないよ」。
「人に迷惑をかけるなと言うルールが、僕達を縛っているのは事実なんだ。僕達はそれを疑っても良いんじゃないか。そう言ってくれたんじゃないかな。疑っても良いはずだと思うよ」。
「疑うのは良いよ。でもそれは健康な人間の言い草だよ」。
「健康な人間の話をしてるんじゃない。俺たちはもともと、人に迷惑をかけているんだよ」。

吉岡に、尾崎が言う。
「どうしてあいつら、まじめなんでしょうね。あんなハンディ抱えてていろんな目にあって」。
「どうしてグレないのか、不思議だよな」。

「ほんとね」と妹の信子も言う。
吉岡は言った。
「グレてる暇がないのさ」。

尾崎がハッとする。
「車椅子の人間がグレて、1人で生きていけるか。そんなゆとりはないんだ」。
「ほんとね。そうなのね」。

鮫島は、良子に会いに行く。
追い返そうとする、向かいの主婦は尾崎がうまく抑えた。
部屋に入った鮫島は良子に言う。

なぜ、重雄たちが良子を誘うのか。
「君を励ますことで、自分達も励まされたい。そういう気持ちがあると思うんだな」。
「そういう付き合いを、大切にしたほうが良いと思うんだ。ここで1人でいるほうが良いなんて、そんなはずないじゃないか」。

吉岡は、良子と良子の母親に会いに行った。
「娘を部屋に閉じ込めておいて、幸せになれるのかってそう言ってるの、わかりますよ」。
良子の母親はそう言った。

「いいえ、親御さんの気持ちとしては」。
「わかるんですか。親の気持ちがわかるんですか。こういう子供を持った親の気持ちなんて、わかるわけありませんよ」。
「外へ出さなきゃいけないって、そんなこと、今まで何度も思いました」。

「小学3年の時から車椅子を使うようになって、一人で外に出せば必ず泣いて帰ってきました。鬼じゃないかって思う人、いっぱいいましたよ」。
「縁日に連れて行けば、どうしてこんな人ごみに車椅子で連れてくるんだって。映画を見せてやろうとすれば、もっと評判の悪い、すいた時に来いとか」。
「中学に入れるんだって、どれだけ学校から嫌味を言われたか、わかりませんよ」。

「私に言わせれば、世間は思いやりがなさ過ぎですよ。世間をもう、信用していないんです。もう私一人でこの子を背負って生きて行こうって。そういう決心をさせたのは世間なんですよ。一生、この子のためだけに、生きてくつもりなんです。ほっといてくださいよ」。
「あなたはよく、わかっていらっしゃる」と吉岡は言った。
「何をですか」。

「お嬢さんを外に出さなきゃいけないって」。
「そんなこと言ってないでしょう!」
「お嬢さんはあなたと一緒に死ぬわけじゃない」。

その時、良子が「死ぬわ」と言った。
「一緒に死ぬわ」。
「お母さんは、そんなこと望んじゃいない」。

「お母さんの一生、めちゃめちゃにしたの私ですもの」。
「良子」。
「お父さんが逃げ出したのは、私がこんなだからだもの」。

「お母さんはそんなこと、思っちゃいない」。
「思ってるわ!」
「思っちゃいないっ!」

「お母さんは君が強くなることを願っている。一人でどこにでも行ける、強い人間になることを願っている」。
母親が言う。
「そうじゃないって言ったでしょう!」

吉岡は言う。
「かわいいからだよ」。
「かわいいから、君を傷つけるのが怖いんだ」。
「…」。

「良子は脊髄なんですよ」と、母親は言った。
「わかりますか。車椅子と言えばあなた方は、つまりは足が不自由だろう、ぐらいにしか思わないけど、一人一人いろいろなんですよ」。
「誰かが外に出たから、それは勇気があるとか、外に出ないから勇気がないとか、十把一絡な言い方してもらいたくないんです。ただ足が不自由なのと、良子みたいに他のことがある子とじゃ、そりゃあもう全然違うんです」。

「確かにそうでしょうが、お嬢さんは部屋から一歩も自分では出られないほどでしょうか」。
「あなた知らないから、そんなこと言うんですよ」。
「君は自分ではどう思うの?」

吉岡は良子に向かって聞いた。
「外へ出ようと言う私は、話にならない無理を言っているか」。
「母をありがたいと思っているわ。逆らいたくないわ」。

「逆らえと言ってはいない。自分で判断しなくてはいけないと言っているんだ」。
「君はお母さんの言うなりになって、言うなりになっていればきっといつか、お母さんを恨むようになる」。
「さあ、みんな、君を待っている。一緒に強くなろうと言っている。そこへ行くか行かないか、自分で決めなければいけないと言っているんだ」。

「自分の一生じゃないか」。
「わかりゃしないわよ。親の気持ちなんて。誰にもわかりゃしないわよ」。
母親は、そう言うと、涙ぐんだ。

良子は、外に出た。
商店街を車椅子で進む。
その先は駅だ。
駅の前には、階段があった。

母親も吉岡も影から見守っている。
良子は進む。
階段の前、良子は「誰か…」と言う。

「誰か。あたしを上まで上げてください」。
「どなたか、あたしを上まで上げてください」。
「どなたか。あたしを上まで上げてください」。
「どなたか、あたしを上まで上げてください」。

数人が気が付いて、やってくる。
上まで、車椅子を抱えてあげてくれる。
車輪の、一歩だった。



経験していない人に、経験した人の気持ちは、わからない。
病気やケガをして、自分も不自由や痛みを実感して、初めて理解する。
自分の痛みを通して、人の痛みを思いやること。
これが大人になるということだった。

歩ける人に、歩けない人の大変さはわからない。
でも理解していなくても、思いやることはできる。
経験していなくても、人の痛みを理解しようとする気持ちがある。

それをできるのが、人間だということだった。
今の自分にこれができているとは言えないけど、山田太一のこのドラマは、まさにそういうことを言っていると思いました。
このドラマを見ると見ないのとでは、全然違う。
そして80年代になる前に、このドラマを作っているということに、驚きを感じます。

80年代に、ヨーロッパに行ったことがある。
その時、車椅子の人が、当たり前に街に出ていることに驚いた。
驚いたということは、日本ではあまり見たことがなかったからだと思う。
頭が緑色やピンクのパンクのお兄ちゃんが駅で、トゲトゲのついたリストバンドをした手で、ごく自然に車椅子を押していた。

車椅子の人が、ライブハウスにいるなんて当たり前。
パブにもいて、当たり前。
普通の人だから。

この普通が、まだ、当時の日本にはなかった。
いやいや、今もあるだろうか。
「普通の人」という感覚が。

「車輪の一歩」に描かれているように、女性と付き合いたい。
ピンク映画を見たいという、普通の人であるということ。
そして、歩ける人に悪意を持つこともあること。
つまりは、普通の感情は全て持っている人間であるということ。

そんなことを描くということがすごい。
「俺たちは天使じゃない」。
だからこそ、吉岡や鮫島や尾崎兄妹と彼らは、わかり合う。
これを見ると、24時間チャリティーのテレビではわからないものが見えて来る気がする。

現在は、駅や公共機関ではスロープが、エレベーターがある。
バリアフリーされていないなんて「遅れてる」。
「意識が低い」。
そんな印象。

今やそれは障害を持つ方ばかりではなく、高齢者や小さい子どもを連れた人のためでもある。
しかし、自分は本当に相手の立場を、理解しているのか。
日本は、高齢化社会となる。

自分も年齢を重ねて行く。
いつかは自分も、人の世話になる日が来ること。
その時、自分は何を思うのか。
彼らの気持ちが、わかるのか。

この「車輪の一歩」を見ると、考えざるを得なくなります。
「シルバーシート」で投げ掛けられた言葉が、重なる。
あの時、人の心を揺さぶることができなかった吉岡の言葉が、今度は良子に一歩を踏み出させる。
このドラマを見ると見ないのとでは、ものの見方が全然違ってしまう。

古尾谷さんも、京本さんもさすが、光っている。
中でも繁雄の斉藤洋介さんが良い。
切ない。
良子の母親の赤木春恵さんも泣けます。

清水健太郎氏が、素朴な青年を自然に演じています。
とても良い味を出しています。
時の流れを感じます…。

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「迷惑」の概念を修正する可能性

来年試行される障害者差別解消法は、欧米先進国並みの法の精神に基づいています。
簡単に言うと、障害者が健常者と同じように文化的生活を享受しづらい状態は、社会の責任として解消していくことを当たり前とする考えです。それは「車輪の一歩」に言うところの、健常者がちょっと手を貸すことを迷惑と感じない社会になることの宣言です。
残念ながら国内メディアは殆どこの法律の報道を行いません。おそらく「受けない」からでしょう。2015年ですらその程度なのに、このドラマがゴールデンタイムで放送されたことの凄さを改めて感じます。

自分がその立場になって初めて理解できること、発見できること、というものがありますね。ちゃーすけさんの言われる通りです。
「車輪の一歩」は当事者も、傍観者も、共に主体的に共感して観ることができるドラマになっていたと思います。

kaoru1107さん

>kaoru1107さん

>来年試行される障害者差別解消法は、欧米先進国並みの法の精神に基づいています。
>簡単に言うと、障害者が健常者と同じように文化的生活を享受しづらい状態は、社会の責任として解消していくことを当たり前とする考えです。それは「車輪の一歩」に言うところの、健常者がちょっと手を貸すことを迷惑と感じない社会になることの宣言です。

まさに「車輪の一歩」の訴えたことですね。

>残念ながら国内メディアは殆どこの法律の報道を行いません。おそらく「受けない」からでしょう。2015年ですらその程度なのに、このドラマがゴールデンタイムで放送されたことの凄さを改めて感じます。

…。
もっと知らせるべきニュースですよね、これ…。
最近、みんなが「知りたいことを知らせる」というより、規則のメディアは「見せたいものを報じる」姿勢が強過ぎるのではないかと思います。

しかし、このドラマはすごい。
そういうドラマを放送したNHK土曜ドラマも、すごいです。

>自分がその立場になって初めて理解できること、発見できること、というものがありますね。ちゃーすけさんの言われる通りです。
>「車輪の一歩」は当事者も、傍観者も、共に主体的に共感して観ることができるドラマになっていたと思います。

あのドラマを見ると見ないでは、考えが違って来ます。
彼ら「普通の青年」が「特殊な人生」を送らなければならない苦悩が伝わりました。
特殊なことではなく、普通に暮らせなければ、と思わされました。
このドラマについてはまだ考えたいと思います。

コメントありがとうございました。
プロフィール

ちゃーすけ

Author:ちゃーすけ
癖の強い俳優さんや悪役さん大好き。
俳優さん、ドラマ、映画、CMその他、懐かしいもの、気になるものについて、長々と語っております。

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