敏夫は尾崎のアパートで、尾崎たちと車椅子の5人を前に吉岡の話をした。
「俺達は、普通の人とはやっぱり違う人生を歩いてるとは思うんだ。吉岡さん良いこと言ってくれたよ」と重雄が言う。
「どういうこと?」

「だからさ、人に迷惑をかけることを怖がっちゃダメだって言うんだ。怖がってたら、部屋に閉じこもっているしかない。決心して迷惑かけても良いんだって」。
だが一郎は「どうなると思う」と言った。
「遠慮してても、俺達は迷惑な存在なんだ。それが遠慮しなくなったら、世間は何と言う。人の世話になっているくせに、何を思いあがってるって、叩いてくるに決まってるんだ。そういう時の世間はイジワルだぞ。かろうじて俺達が同情されているのは、俺達が遠慮しているからなんだよ」。

敏夫が言った。
「じゃあ今のままで良いと言うのか。遠慮して、おずおずして歩ける人間に恨みを持って、この2人にとりついたように、惨めに恨みを晴らして。隅で目をギラギラさせていればいいのか!」
重雄も言う。
「僕はあの人は良いことを言ってくれたと思うな」。
「じゃあ、やってみればいいさ。外に出てって俺を大事にしろ、俺を重んじろとわめいてみるといいんだ」。

「そんなことを言ってるんじゃないよ」。
「人に迷惑をかけるなと言うルールが、僕達を縛っているのは事実なんだ。僕達はそれを疑っても良いんじゃないか。そう言ってくれたんじゃないかな。疑っても良いはずだと思うよ」。
「疑うのは良いよ。でもそれは健康な人間の言い草だよ」。
「健康な人間の話をしてるんじゃない。俺たちはもともと、人に迷惑をかけているんだよ」。

吉岡に、尾崎が言う。
「どうしてあいつら、まじめなんでしょうね。あんなハンディ抱えてていろんな目にあって」。
「どうしてグレないのか、不思議だよな」。

「ほんとね」と妹の信子も言う。
吉岡は言った。
「グレてる暇がないのさ」。

尾崎がハッとする。
「車椅子の人間がグレて、1人で生きていけるか。そんなゆとりはないんだ」。
「ほんとね。そうなのね」。

鮫島は、良子に会いに行く。
追い返そうとする、向かいの主婦は尾崎がうまく抑えた。
部屋に入った鮫島は良子に言う。

なぜ、重雄たちが良子を誘うのか。
「君を励ますことで、自分達も励まされたい。そういう気持ちがあると思うんだな」。
「そういう付き合いを、大切にしたほうが良いと思うんだ。ここで1人でいるほうが良いなんて、そんなはずないじゃないか」。

吉岡は、良子と良子の母親に会いに行った。
「娘を部屋に閉じ込めておいて、幸せになれるのかってそう言ってるの、わかりますよ」。
良子の母親はそう言った。

「いいえ、親御さんの気持ちとしては」。
「わかるんですか。親の気持ちがわかるんですか。こういう子供を持った親の気持ちなんて、わかるわけありませんよ」。
「外へ出さなきゃいけないって、そんなこと、今まで何度も思いました」。

「小学3年の時から車椅子を使うようになって、一人で外に出せば必ず泣いて帰ってきました。鬼じゃないかって思う人、いっぱいいましたよ」。
「縁日に連れて行けば、どうしてこんな人ごみに車椅子で連れてくるんだって。映画を見せてやろうとすれば、もっと評判の悪い、すいた時に来いとか」。
「中学に入れるんだって、どれだけ学校から嫌味を言われたか、わかりませんよ」。

「私に言わせれば、世間は思いやりがなさ過ぎですよ。世間をもう、信用していないんです。もう私一人でこの子を背負って生きて行こうって。そういう決心をさせたのは世間なんですよ。一生、この子のためだけに、生きてくつもりなんです。ほっといてくださいよ」。
「あなたはよく、わかっていらっしゃる」と吉岡は言った。
「何をですか」。

「お嬢さんを外に出さなきゃいけないって」。
「そんなこと言ってないでしょう!」
「お嬢さんはあなたと一緒に死ぬわけじゃない」。

その時、良子が「死ぬわ」と言った。
「一緒に死ぬわ」。
「お母さんは、そんなこと望んじゃいない」。

「お母さんの一生、めちゃめちゃにしたの私ですもの」。
「良子」。
「お父さんが逃げ出したのは、私がこんなだからだもの」。

「お母さんはそんなこと、思っちゃいない」。
「思ってるわ!」
「思っちゃいないっ!」

「お母さんは君が強くなることを願っている。一人でどこにでも行ける、強い人間になることを願っている」。
母親が言う。
「そうじゃないって言ったでしょう!」

吉岡は言う。
「かわいいからだよ」。
「かわいいから、君を傷つけるのが怖いんだ」。
「…」。

「良子は脊髄なんですよ」と、母親は言った。
「わかりますか。車椅子と言えばあなた方は、つまりは足が不自由だろう、ぐらいにしか思わないけど、一人一人いろいろなんですよ」。
「誰かが外に出たから、それは勇気があるとか、外に出ないから勇気がないとか、十把一絡な言い方してもらいたくないんです。ただ足が不自由なのと、良子みたいに他のことがある子とじゃ、そりゃあもう全然違うんです」。

「確かにそうでしょうが、お嬢さんは部屋から一歩も自分では出られないほどでしょうか」。
「あなた知らないから、そんなこと言うんですよ」。
「君は自分ではどう思うの?」

吉岡は良子に向かって聞いた。
「外へ出ようと言う私は、話にならない無理を言っているか」。
「母をありがたいと思っているわ。逆らいたくないわ」。

「逆らえと言ってはいない。自分で判断しなくてはいけないと言っているんだ」。
「君はお母さんの言うなりになって、言うなりになっていればきっといつか、お母さんを恨むようになる」。
「さあ、みんな、君を待っている。一緒に強くなろうと言っている。そこへ行くか行かないか、自分で決めなければいけないと言っているんだ」。

「自分の一生じゃないか」。
「わかりゃしないわよ。親の気持ちなんて。誰にもわかりゃしないわよ」。
母親は、そう言うと、涙ぐんだ。

良子は、外に出た。
商店街を車椅子で進む。
その先は駅だ。
駅の前には、階段があった。

母親も吉岡も影から見守っている。
良子は進む。
階段の前、良子は「誰か…」と言う。

「誰か。あたしを上まで上げてください」。
「どなたか、あたしを上まで上げてください」。
「どなたか。あたしを上まで上げてください」。
「どなたか、あたしを上まで上げてください」。

数人が気が付いて、やってくる。
上まで、車椅子を抱えてあげてくれる。
車輪の、一歩だった。



経験していない人に、経験した人の気持ちは、わからない。
病気やケガをして、自分も不自由や痛みを実感して、初めて理解する。
自分の痛みを通して、人の痛みを思いやること。
これが大人になるということだった。

歩ける人に、歩けない人の大変さはわからない。
でも理解していなくても、思いやることはできる。
経験していなくても、人の痛みを理解しようとする気持ちがある。

それをできるのが、人間だということだった。
今の自分にこれができているとは言えないけど、山田太一のこのドラマは、まさにそういうことを言っていると思いました。
このドラマを見ると見ないのとでは、全然違う。
そして80年代になる前に、このドラマを作っているということに、驚きを感じます。

80年代に、ヨーロッパに行ったことがある。
その時、車椅子の人が、当たり前に街に出ていることに驚いた。
驚いたということは、日本ではあまり見たことがなかったからだと思う。
頭が緑色やピンクのパンクのお兄ちゃんが駅で、トゲトゲのついたリストバンドをした手で、ごく自然に車椅子を押していた。

車椅子の人が、ライブハウスにいるなんて当たり前。
パブにもいて、当たり前。
普通の人だから。

この普通が、まだ、当時の日本にはなかった。
いやいや、今もあるだろうか。
「普通の人」という感覚が。

「車輪の一歩」に描かれているように、女性と付き合いたい。
ピンク映画を見たいという、普通の人であるということ。
そして、歩ける人に悪意を持つこともあること。
つまりは、普通の感情は全て持っている人間であるということ。

そんなことを描くということがすごい。
「俺たちは天使じゃない」。
だからこそ、吉岡や鮫島や尾崎兄妹と彼らは、わかり合う。
これを見ると、24時間チャリティーのテレビではわからないものが見えて来る気がする。

現在は、駅や公共機関ではスロープが、エレベーターがある。
バリアフリーされていないなんて「遅れてる」。
「意識が低い」。
そんな印象。

今やそれは障害を持つ方ばかりではなく、高齢者や小さい子どもを連れた人のためでもある。
しかし、自分は本当に相手の立場を、理解しているのか。
日本は、高齢化社会となる。

自分も年齢を重ねて行く。
いつかは自分も、人の世話になる日が来ること。
その時、自分は何を思うのか。
彼らの気持ちが、わかるのか。

この「車輪の一歩」を見ると、考えざるを得なくなります。
「シルバーシート」で投げ掛けられた言葉が、重なる。
あの時、人の心を揺さぶることができなかった吉岡の言葉が、今度は良子に一歩を踏み出させる。
このドラマを見ると見ないのとでは、ものの見方が全然違ってしまう。

古尾谷さんも、京本さんもさすが、光っている。
中でも繁雄の斉藤洋介さんが良い。
切ない。
良子の母親の赤木春恵さんも泣けます。

清水健太郎氏が、素朴な青年を自然に演じています。
とても良い味を出しています。
時の流れを感じます…。

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2015.09.23 / Top↑
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