毎年発生する山の遭難事故。
その3分の1を占めるのが、道迷い遭難だという。
「道に迷い、山中をさまよう道迷い遭難の、恐怖の実態をあきらかにする」羽根田治氏の著書。
ヤマケイ文庫から出版の、その名も「道迷い遭難」。

その場にいるような気分になる。
迷って行く様子に、想像がつく。
絶望感を感じる。

とても他人事として客観視できない。
無謀な判断にゾッとするのは、想像がつくからと同時に、自分がその場にいたらやりそうだから。
たった一人、自分しか頼れない中、どんどん窮地に陥って行く遭難者が、自分に重なって行く。

でもここに出ているのは生還した方。
ですから、そういう点では安心して読める。
生還しなかった方の絶望感と言ったら、それはもう…。

何が起きたのか、こちらには知るすべもなく、しかしここに書かれているようなことが起きたに違いない。
この本で語っている方たちは、本当に運が良かった。
報道された記憶があるものも、あります。

時間が迫っている時に迷った、あの焦り。
たどり着けない不安。
繁華街、住宅地でも、観光地でも絶望的になるというのに、誰もいない山の中。
絶望感と無力感で、考えただけでも、うずくまりたくなる。

『山登りをやっている人なら、誰でも一度や二度は道に迷った、あるいは道に迷いかけた経験があると思う。
それが幸い大事に至らなかったのは、「あれ、おかしいぞ」と思った時点で引き返したからではないだろうか。
引き返していれば、「ここで間違えたんだ」というポイントが、必ず見つかるはずである』。

『ところがこの、「引き返す」ということが、なかなかできない。
「おかしいな」と思いながらも、「もうちょっと行ってみよう」と、ずるずる先に進んでいってしまう。
そして進めば進むほど、引き返すのが億劫になり、どんどん深みにはまってしまうのである』。

そう。
もうちょっと行けば、わかるんじゃないかと思ってしまう。
実際はわかるより、迷うほうが多い。

『はっきりと「しまった。道を間違えた」と自覚した時には、もうかなりの距離を歩いてきているので、今さら引き返す気にはなれなくなっている。
この時点であっても、引き返すのが最良の手段なのだが、当事者の頭の中にもう、その選択肢はない。
「このまま行けばどこかに出るはずだ」という淡い期待にすがり、闇雲に突進を続けていく』。

そう!
誰もが連想したことだと思いますが、これは日常の、そしていろんな決断をする時のタイミングにも当てはまります。
「ここまでやって、今さらやめることなんかできない」。
「あれだけ待って、今さらやめることなんかできない」。

『しかしやがて、行く手には滝や崖や藪が立ちふさがる。
それを避けながら進むうちに、ますます袋小路に追い詰められていき、最後は滝や崖を強引に突破しようとして転落してしまう。
あるいは体力が尽きて、行動不能に陥ってしまう。
これが、道迷い遭難の典型的なパターンである』。

『だからほとんどの道迷い遭難は、ごく単純なことで防ぐことができる。
なにしろ、「おかしい」と思った時点で引き返せばいいのだから。
ところがこの、簡単なことが難しい。
それはたぶん、道迷い遭難が人の本能と葛藤に起因するものだからだと思う。

「今たどっているルートが、正しいものであってほしい」とする願望と、本能が発する、「そっちは違うぞ」という危険信号との、せめぎあい。
その結果、人はどうしても楽なほう、安易なほうに流されがちであるから、願望が勝ってしまう。
かくして道迷い遭難が起きる』。

だと思う。
まさしく、そうだと思う。
そして人生の迷い道も、こうして起こる…。
ありふれたつまんない意見だろうけど、そうだと思う。

いろいろな事件も、この、人の心の弱みが関係しているものが多い。
策略、謀略、作戦もここを考えて練られていると思う。
株やら投資で破滅する人も、内容としては同じようなことだと思う。

最後に、捜索にかかった費用が書かれている。
生還した方も、これが命の値段とはいえ、大変なことだと思いました。
いろんな意味でゾッとした本です。


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2015.11.17 / Top↑
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