最終回。
半兵衛とお春の2人は、元に戻っている。
裏の顔を持つことは、2人の仲を引き裂くには至らなかった。
それほど、この2人は強く結びついているのだとわかる。

だからこそ。
だからこそ、最後に半兵衛が追われて旅立ち、お春が1人残るラストが胸を打つ。
あれほど素人ぽかった政吉が、親子の情に負けそうになるおせいのため、仕事屋として死んでいくのが切なくなる。

政吉を失ったおせいが死のうとするのを、やはり素人だった半兵衛が止める。
そして諭す。
「死なせて。政吉のそばに行かせて」。
この時の半兵衛の言葉は「必殺」史上、いえ、時代劇の中でも名セリフではないでしょうか。

「人間生きるため死ぬため、大義名分を欲しがる。
そんなものぁ、どうでもいいんだ!
明日のない俺たちは、無様に生き続けるしかないんですよ」。

うちひしがれるおせい。
半兵衛にも追手が迫っている。
「おかみさん、いや、おせいさん。無様に生き続けましょうよ」。
そして半兵衛は自ら囮になって、おせいを助ける。

今よりはるかに寿命が短く、病やケガや自然や災害に対して日本人が無防備で、身分制度がある時代。
そこに生きる人の生と死を描いたものが「必殺」、いえ、時代劇。
半兵衛の言葉は、そのひとつのテーマに対する答えではないでしょうか。

命があれば死にたくないから、なりふり構わず必死に生きる。
そうすれば、無様になることもある。
だから無様に思われないため、格好をつけ、言い訳をするため、大義名分を欲しがる。
大義がない戦争は士気が下がるって、言いますね。

でも生きることに、大義名分はいらないと半兵衛は言うんです。
追われる自分には、もう明日もない。
大切な人を失ったおせいにも、明日はないだろう。
明日、つまり希望、生きる目的、張り合いはない。

ただ生きているだけになるのかもしれない。
それでも生きること。
生き残った自分たちがやることって、そういうことじゃないのか。

すっぱり自害する武士。
大義名分のために死ぬ武士と「必殺」の殺し屋や庶民は違う。
自分たちは悲しかろうが、みっともなかろうが、みみっちい人生を無様に生きよう。

それで良いだろう。
俺は生きる。
あんたも生きてくれ。

市井の人の生と死、それに立ち会う殺し屋たちの物語が「必殺」。
この「必殺」に込められてきたテーマのひとつを、半兵衛が言っている。
だから「仕留人」と「仕事屋稼業」は、地味だろうと「必殺」の重要な作品になっていると私は思います。

仕事屋の厳しさを常々説いていたプロだったおせいは素人から成長した2人の仕事屋に救われ、諭され、生きていくことを教えられる。
勝負で言えば、逆転。
掛けごと勝負を描いてきた「仕事屋」の行き着いた見事な逆転ラスト。
お春との絆もすべての縁を断ち、博打好きのろくでなしのそば屋の主人だった半兵衛は、1人、仕事屋として旅立つ。

時に軽妙に、時に切なく展開された1話1話。
そのクオリティの高さ。
全編を通じて描かれる親子、夫婦、友情。
最後の、アマチュアがプロへ成長した果てに訪れた厳しく悲しく、たくましい結末。

「必殺」シリーズに興味のない人、時代劇に興味がない人でも仕事屋は見られるだろう、うなるだろうと思うのは、この人間ドラマがしっかりしているから。
そして、人が生きることに対してのエールが最後にある。
古今東西、時代劇があの時代を選んで描いてきたテーマがある。

ラスト。
歌を口ずさみ、半兵衛を一人、ずっと待っているであろうお春が映る。
かげろうが立ち上る中、地面から起き上がる半兵衛。
ふたりは、同じ歌を口ずさんでいる。

下手な人相書きを破り(これほんとにちょっと、奉行所は反省しましょう)振り向く半兵衛。
そこに生命力としたたかさが溢れている。
俺は生きるよ。
あんたも生きてくれ。

緒形拳、名演。
林隆三、ベストワーク。
草笛光子もまた、ベストワーク。
岡本信人、中尾ミエのクレジットも光る名演です。


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2015.11.15 / Top↑
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