「仕置屋稼業」、第1話で市松は、主水の前に突然、現れた殺し屋。
主水は大吉の殺しの場面にも出くわしていますが、敵意があったわけじゃない。
むしろ、相手は殺されても仕方がない奴だから、見た自分のことは気にしなくて良いと言っています。
これでまた、裏稼業ができると主水の心は躍った。

しかし市松の時は、時系列が違うにせよ、主水は裏の仕事の限界を思い知らされている。
何も変わらない。
自分たちのしたことが、新たな恨みと悲劇を生むだけだったら?
主水の理想とどこかで信じ、実現していたはずの正義は、崩壊していた。

「仕留人」の最後に貢が投げかけた問いに対して、主水は答えを持っていない。
悪党の父親を殺されて、1人、雪の中、巡礼に出た少女に対して、主水はかける言葉を持たない。
裏稼業に戻るのに、そんな気持ちでは戻れない。

梅雨のべとべとした雨の中、りつが離れの普請の代金について主水に文句を言う。
代金を払うため、お金が必要だ。
おこうが訪ねてくる。

頼み人一家が死んだ。
誰も助けてやらなかった。
雨の中、寂しい葬列が行く。

みんな死に絶えてしまった。
こんなことが許されて、良いのか。
それでもまだ、主水は目をつぶると言うのか。

おこうは怒る。
見損なった。
2度と会わないと言い捨て、おこうが去っていく。

まるで自分が殺したような気持ちになる主水。
主水を見つめる目があった。
市松。

夜更け、雨が上がった。
歩いていく主水の先の、溝に誰かがしゃがんでいる。
「おめえを…、探してたんだ」。

主水が声を絞り出す。
その誰かが、立ち上がる。
主水に向かって、振り向く。

市松だった。
主水を見る目には、何の感情もこもっていない。
「死んでもらおうか」。

そう言った市松の口には、わずかに笑みが浮かんでいる。
笑っている。
この青年は、怖ろしい言葉を口にしながらかすかにだが、笑っているのだ。

「俺の仕事を見た者は、生かしとくわけにはいかねんだ」。
脅すわけでもない。
まるで日常会話をしているような口調が、かえって怖ろしかった。

この言葉を言って、今度は市松は、はっきりと笑った。
だが次の瞬間、市松の瞳孔は冷酷に見開いた。
得物に飛び掛る寸前の、猫科の目だった。

主水は、自分へ向けられた市松の殺気を感じた。
「その前に、人、1人殺しちゃくれねえか」。
市松の顔が、おもしろいものを見たという表情になる。
「けつっぺたに十手をはさんだ殺し屋とは、呆れるな」。

「ははは」。
市松は笑った。
「はは…」。
主水も笑った。

「引き受けた」。
そう言った市松の顔から、見る間に笑いが消えていく。
「おめえを冥土に送った後で、な」。

主水を見据えた市松はまた、おもしろそうに笑った。
「またな」。
そう言うと、市松は猫のように姿を消した。

主水は自分の稼業にはこの青年の腕が、絶対に必要だと思った。
この青年を引き入れるために、どれほどの危険を冒すか覚悟しながら。
市松が去った後、主水は持っていた傘で首筋を叩いた。
緊張で首が凝っていた。

次に主水は、捨三を訪ねていく。
捨三と主水の関係は、謎だ。
だが捨三が主水に対して、尋常ではないほどの恩を感じているのがわかる。

主水が訪ねてくるのが、捨三には不思議だった。
どうも元気がない。
調べたいことがあるから、手を貸してくれと主水が言う。

下っ引きなら大勢いる。
何も自分なんか使わなくても…と口にした途端、捨三の顔色が変わる。
声の調子が変わる。

「じゃ、また…」。
捨三の声が低くなる。
「あれ、始めるんですかい…?」

主水は答えない。
瞳に映る紅蓮の炎。
目の前でおみよ、おいと一家が無残にも踏みにじられるのに、怒りを抑えられない。

助けてやれなかった。
自分が、自分も一緒になって殺したんだ。
しかたないことじゃないか。
そんな風に思えるほど、主水はまだ、割り切れない。

「また来るぞ」。
主水が出て行く時、「おーい、捨三!」と叫びながら走ってくる坊主がいた。
坊主は主水を見ると、露骨に不審な顔をした。

嫌なものを見たという表情をしながら、まるで主水の存在を締め出すように坊主は戸を閉めた。
その坊主が、印玄だった。
「あいつか!おめえがまだ、スリをやってた頃、世話になった八丁堀は!」

「十手持ちは嫌いだ。付き合うのはよせ」。
「あの人は別」。
そう言った捨三に、印玄がすごむ。
「何が別だ!役人は役人だ!」

そして、風呂場を見る小窓を開け、「あ、今日は当たりだ」と言う。
先ほどの男とは、別人のような口調だった。
「年の頃なら、17、8」。
印玄は風呂場をのぞいて、うれしそうだった。

捨三の調べで、主水はおみよ一家を崩壊に追い詰めたのが近江屋と確信した。
標的は決まった。
主水は竹林に急ぐ。
背の高い竹が風でしなる。

竹やぶの中の一軒家。
主水は戸を開ける。
誰もいない。

だがそこには机があり、竹を削っていた痕跡が残っている。
主水は削られかけの竹の板を手にし、座布団に手を触れる。
まだ温かい。
いるぞ。

市松は確かに、ここにいる。
どこからか、主水を狙っている。
対決の時が迫っていた。

主水は外に出た。
いない。
あたりを見渡す。
いない。

再び、一軒家に戻ろうとした時だった。
目にも留まらぬ速さで、市松が襲ってきた。
主水は、十手を振りかざした。

だが市松はその手を取り、主水を羽交い絞めにした。
くるりと主水の背後に回る。
首筋には鋭い竹串が、今にも突き刺さらんとして押し付けられていた。

主水の十手を持つ手は、市松に押さえられていた。
十手が叩き落とされる。
主水はため息をついた。

「旦那」。
市松が笑った。
「こっちから、足、運びましたのに」。

ほとんど、市松は楽しそうだった。
「死んでもらう前に聞いておこうか。殺しの相手は、誰ですかい?」
「廻船問屋、近江屋利平だ」。

市松が笑った。
「安心しな。仕事は綺麗に仕上げてやるぜ」。
竹の葉が揺れる。

市松が、竹串を主水の首筋におろそうとした。
その時、主水が言った。
「おめえもそんなに、しに急ぐこたあねえじゃねえか」。
「?」

その言葉で、市松は初めて気が付いた。
自分の腹に、主水が小刀を抜いて押し付けていることを。
市松が竹串を主水に刺した瞬間、その刃は市松に向かって深々と刺さるだろう。

2人の動きは止まっている。
どちらも動かない。
市松は初めて、自分が侮っていたこの冴えない同心が只者ではないことに気づいた。

目が見開かれる。
美しいまつげが、影を落とす。
「どっちに転んでも、あんまり良いクジじじゃねえな」。

市松に向かって、この冴えない同心は言う。
「殺しの数は、俺の方が上だぜ」。
嘘ではないことが、わかった。

市松は殺し屋の父親を持ち、養父によって殺し屋に育てられた青年だ。
生粋の殺し屋だ。
その殺し屋より、殺しの数が上とはどういうことだ?

この同心、誰だ?
何者だ?
一体、何しに来たんだ?

市松は初めて、得体の知れない相手を前にしていると思った。
恐怖した。
なぜ気づかなかったのだろう?

この男が暗殺者としての技量を持っていたなら、姿を見せて襲い掛かるなんてことはしなかったはずだ。
つまり、市松は相手を技量を正確につかみ損ねていたのだ。
そんなことは、初めてだった。

市松は竹串を横にして言った。
「刀、引いてくれや」。
「ダメだ!」

「俺はかかあ始め、人様を信用しねえことにしてるんだ」。
何だと?
市松には、わけがわからなかった。
だが、ここで引かなかったら、確実に自分が殺されることだけはわかった。

市松は殺す側だ。
殺される側に回るなんてこと、ただの一度もなかった。
「わかった」。

「おめえさんの話に乗った」。
「しかし、おめえさんを殺るのを、諦めたわけじゃねえぜ」。
主水は、かすかにうなづいた。

「わかった」。
そう言うと主水は、隙のない動きで身を翻した。
刀を収め、十手を拾う。
市松は竹串をかざしたままだ。

だがそれはもう、主水を殺すと言うよりも、自分の身を守る体勢になっていた。
「竹の湯の釜場で、待っているぜ」。
主水が去っていく。

その後姿を見送りながら、市松は冷や汗をかいているのがわかった。
額の汗を、市松は指でぬぐった。
全身が総毛立つような、市松が初めて味わう怖さだった。

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2016.05.29 / Top↑
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