まだうまくまとめられませんが「シン・ゴジラ」。
しつこく書きます。
おそらく、まだ何度か書きます。
さて、賛否両論あるのは当たり前と思える「シン・ゴジラ」ですが、自分としてはこの映画、否定したくないんです。


60年以上前の作品であり、今見れば拙い特撮であったとしても1954年のゴジラは色褪せない。
今回、映画館でこの「シン・ゴジラ」を観た時、思いました。
1954年のゴジラを観た人たちって、こんな感じだったんじゃないかと。
映画を観て、こんな気分だったのではないかって。

1954年の「ゴジラ」は、まだ戦争の傷が生々しい時に生まれている。
実際に戦争の災禍を経験している人たちが、作っている。
観ている人たちにもまだ、強烈な戦争体験があった。
ゴジラによる破壊は、おそらく、かなり生々しかったのではないか。

「シン・ゴジラ」ではゴジラが上陸し、川を昇り、自動車が弾き飛ばされ、建物が崩れる。
街を焼き尽くす。
この光景は、日本を襲った災害を想像する。

瓦礫の下から見える足、靴。
逃げ遅れる家族。
電気が消えた地下鉄にいて悲鳴を上げた人。
地下に逃げた人。

そして、ゴジラが下を向いて壮大に吐き出した炎…。
これが映っているだけだが、これ以上は想像したくない。
これで充分。
目を背けたくなるリアル、生々しさ、無力感と絶望感があった。


1954年の「ゴジラ」は怪獣映画ではあるけど、怪獣を使ってメッセージを放った映画だった。
まず感じるのは、一般市民を巻き込んだ戦争への強烈な怒り。
反戦。

このゴジラで感じる反戦は、綺麗事でもなければ、理想論でも政治的に利用される反戦でもなかった。
どの政治にも思想にも属しない。
経験した者がもつ本当の怒りと哀しみ、強烈なメッセージがあった。

「シン・ゴジラ」にも何の政治的、思想的、イデオロギーは入っていない。
想定外の大災害が日本に起きた時、この国はどうするのか。
政府は、官僚は、国民はどうするのか、どうなるのか。

日本を取り巻く現実を浮かび上がらせた。
そして日本という国、日本人が持っている問題点、美点、底力を描いた。
強烈なメッセージがあると感じた。

こういう感情とメッセージが入った作品は、色あせないと思う。
1954年のゴジラは、色褪せない。
今度のゴジラも、そうであると思う。

どちらも「スクラップ・アンド・ビルド」の日本が作るゴジラ。
日本と日本人を、必要以上に否定も賞賛もしていないと思う。
「スクラップ・アンド・ビルド」の日本だからできた作品。


1954年のゴジラは製作者の人たちがこれを見せたい、伝えたい、感じてほしいと強烈に思ったものを作っている。
他の作品もスタッフさんが言っていたが、「俺はこれを見せたいんだ!」ってものを作ることが大切であると。
それに対しての正誤、善悪、異論は出る。
出るだろうけど、とにかく自分が見せたい・作りたい・伝えたいものを作る。

「シン・ゴジラ」も、これだと思う。
ウケやセオリーから外れても、描きたいものを描いた。
だからこの「シン・ゴジラ」を、嫌いと言う人は、当然いると思う。

いても良いと思う。
でも、これを作ったということは否定したくない。
全て否定するということは、今後の邦画の芽を摘んでしまうことになるんじゃないか。


また、「シン・ゴジラ」はゴジラが東京を破壊する意味も描かず、登場人物の背景も描かない。
今回の災害の中で起きている人間ドラマも描かない。
これは本当に、かなり思い切ったことをしていると思った。

描かないけど、あの、ゴジラという想像したこともない災害に立ち向かう人たちの姿で充分なのがすごい。
ゴジラを題材にした災害・戦闘シュミレーションのようだが、まるでドキュメンタリーを見ているようだった。
「プロジェクトX・ゴジラに立ち向かった日本」というか。
「シン・ゴジラ」で感じる思いは、ドキュメンタリーを見た時の思いと似ているかもしれない。

非難されるかもしれないが、思い切って今の日本に自分が見せたいものを作って見せた「シン・ゴジラ」。
プロジェクトX・ゴジラ。
これを承知した東宝さんも偉い。
応援します、また観ます、買います、書きます。


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2016.08.16 / Top↑
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