「シン・ゴジラ」のことをこんなの、ゴジラじゃない!
おもしろいけど、ゴジラより災害シュミレーション映画だという感想も聞きました。
この感想は、1998年のハリウッド版ゴジラでも似たようなことが言われていましたね。
モンスターパニック映画としてはおもしろいが、これはゴジラじゃない!とか。

ゴジラ映画ではなく、別ジャンルとして評価したいと言われる。
自分もこのゴジラには、そんなこと言ったと思います。
「シン・ゴジラ」もそんな声が聞かれます。

でも「シン・ゴジラ」って、原点に立ち返っていると思うんですよね。
やはりゴジラは、特に最初のゴジラは神のようなものだったと思うんです。
自分たちの想像を超えた存在。
暴れる理由も、何もわからない。

ただ、そこにいて暴れ狂う。
自然災害のような存在。
カヨコも言ったけど、人智を越えた神の化身。

2014年の「ゴジラ」ではゴジラのことを「原始生態系の頂点に君臨する。いわば神ね」と言っている。
それに対して主人公は「モンスター…」と言いますが。
こうなるとゴジラとムートーとの対決は、神々の戦いなわけです。

神々の戦いに、人間の抵抗は無意味。
戦っている神々は、地上の人間のことなど考えない。
戦闘中の人間が、地面の蟻を気にしないのと同じ。

でも、このゴジラはまだ、主人公と目が合っている。
蟻に対するような気持ちであったとしても、人間の主人公と目が合って、認識している。
生物としての「意思」を感じないこともない。
ところが「シン・ゴジラ」のゴジラは、意思の疎通なんて無理そうです。

劇中でも行動パターンを分析するも何も、ただ歩いているだけと言っていますが、意思なんて読めない。
第2形態なんて、何でこっち来るんだって思いしか抱けないような違和感ある容貌。
意思があるのか?
本能のみか?

そういうものが自分たちの良く知っている光景に入ってきて、日常を壊していく衝撃、拒否感。
今の日本人には、それは震災を思わせる。
だから今度のゴジラの所業には、戦慄する。
もうダメかと思ったが、最後の最後に日本はゴジラを凍結させることに成功する。

日本は今後、ゴジラと共存していく覚悟を固める。
まるで震災時の原発事故。
「スクラップアンドビルドで、この国はのし上がってきた」。
赤坂の言葉は、震災を経験した日本へのメッセージ。

先の大戦で日本は徹底的に、破壊された。
その他にも日本は嫌でも、定期的に自然災害により破壊されてきた。
だから今度も、今も、これからもスクラップアンドビルド。
これが宿命の国かもしれない。

これが悲劇であり、強みである国。
だから「諦めず、最後までこの国を見捨てずにやろう」。
矢口のこの言葉もまた、メッセージ。

思ったんですが、これってゴジラそのものにも言えるんですね。
「シン・ゴジラ」はゴジラ映画ではないと言うのであれば、ゴジラは「シン・ゴジラ」で一度スクラップされ新しいゴジラをビルドされたことにならないかと。
制作費もスケールもはるかに巨大なハリウッドにまかせたゴジラを、もう一度日本で作る。

これはかなり怖いこと。
正直、私もあまり期待していなかった。
だから「シン・ゴジラ」を観て、そんな思いを初めから抱いていた自分を申し訳なく思った。

前にも書いたけれど、こんなゴジラ映画を作るのはかなりな勇気が必要だと思う。
監督も、そして東宝も勇気がいったと思う。
ここで言うスクラップアンドビルドは、ゴジラそのものにも、さらには日本映画に対しても当てはまるのかもしれない。


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2016.10.19 / Top↑
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