「世界の終わりと始まりに」に、永井先生のインタビューが出ています。
漫画家さん、いや、作家さんって何かに取り憑かれたみたいにして作品を描くようです。
永井豪さんもまたそうですが、この方は特にこれが顕著のようです。

作品も悪が跋扈するものが多いせいか、本人や周りの精神状態にすごい影響を及ぼしたようです。
永井先生だけじゃなく、アシスタントも全員、鬼の夢を見たり。
同じものを作っていると、感応するんでしょうか。

さてあの、「デビルマン」のラストシーン。
あれはページが足りなくて、ああいう終わり方になったそうです。
そうしたら、作者の意図とは違う解釈をする人が出て来た。

だから、あのラストで良かったんだなと思ったとか。
作者が結論を出さない終わり方もありなんだな、と思ったそうです。
ページ足りてたら、何を描いていたんでしょうね?

インタビュアーは、「サタンとデビルマンには友情以上のものがあるように思います」と、言いました。
永井先生も読者から「デビルマンはサタンとデビルマンの恋愛ものだったんじゃないか」と言われたそうです。
だからインタビュアーにも「その通りです」と、答えてしまった。

「恋愛が人類を滅亡させちゃうんだから、迷惑な話ですよね」。
美樹ちゃんを死なせる時は描いていて、「ああ、困ったな、死んじゃうよ」って思った。
結局、美樹ちゃんはサタンとデビルマンの愛の犠牲者だったと永井先生は考えています。

永井先生は基本的にその時、面白いと思ったように話を転がしていくとか。
だから描いている時の気分が違ったら、「デビルマン」はギャグマンガになった可能性もあるそうです。
自分でもどう進むかわからないから、編集さんは相当困った。

当時は、どう進むのかと聞く編集さんに、読んでみたらわかりますと答えていたそうです。
そう言うしかなかった。
予定と違う方向と言えば、飛鳥了は、最初は地下室で殺す予定だった。

でも殺しちゃうと、どうも話がうまく進まない。
だから生かしておいたら、最後はああいうことになった。
不思議と辻褄があった。
こういう時、何かに描かされているような気分になりますね。

「デビルマン」は不動明の高校生活、日常から話が始まる。
それはいきなり突飛な世界を描いても共感されないというのが、あったから。
それ以外の理由として、永井先生は子ども~学生の時、何が嫌だったかと言うと朝礼が嫌だった。
みんな並ばされて立たされて、先生が訓示を述べる。

あれが嫌で、何か起きないかなって思っていた。
UFOでも何でもいいから、この状態を壊してくれないかなって。
この思いが、明の日常にデーモンが入って来る展開になった。

自分も嫌いでした、朝礼の長い訓示。
社会人になっても、朝礼でやたら訓示が長い人とは相性が良くなかった。
毎回、1時間も話す人がいましたけど、相性、良くなかったですね。
永井先生が朝礼の訓示が嫌いという話を聞いて、やっぱりこの方はサラリーマンには向いてなかったなと思いました。

営業とか、絶対に向いてない。
漫画家とか、自由業に向いている人なんだなと思いました。
そうやって考えると自分も、そういう傾向あるんだろうか…。
いや、あんなに毎回長い訓示は、誰だって好きじゃないはずだ!

「デビルマン」でデビルマンが戦う理由は、実はエゴだと永井先生は言います。
でもそのエゴの中で見つけた戦う理由が、美樹だった。
美樹を愛している。
彼女を守るため、自分は戦う。

だから美樹を失った時、明は戦う理由を失った。
戦う理由があるとしたらひとつ、復讐だけだった。
それもまた、エゴ。

サタンはサタンで、神のエゴに反抗して戦っていた。
しかしやはり、最後に人類を滅ぼそうとした自分もエゴであったと気付く。
その時は、デーモンにしてまで守りたい、愛する明を失っていた。
サタンは、激しく後悔し、涙する。

永井先生は、「デビルマン」のマンガって、みんな悩んでいるんですと言う。
「自分って、これでいいのか?」
「これで正しいんだろうか?」
連載時は戦争から立ち直り、高度成長期に入り、豊かになって余裕が出てきた時代。

だから、そういう疑問がみんなにあった。
自分にもあった。
こんな自分と時代に関係して、登場人物がみんな悩んでいるそうです。
名作と言われるものは製作者の心情の表れであることはもちろんですが、やはりその時代の空気をまとっているものなのだと改めて思います。


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2017.06.06 / Top↑
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