こたつねこカフェ

癖のある俳優さん、悪役さんが大好きです。時代劇、ドラマ、映画、俳優さんのことを好きに書いています。
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『死』は『知』

養老孟司先生の研究所の営業部長は、まるさん。
スコティッシュフォールドの雄です。
この養老先生の猫についてのお話が、おもしろい。
去年、19歳の猫を見送った後、この先生の「死」についての言葉がとても沁みました。

猫について、完成された生き物と言う。
獲物を借る動物として、機能的に完成されている。
そして無駄がない。

過剰に寄ってこないし、かといっていなくなったらそれっきりということもない。
距離感が非常に良い。
上手に人を騙して、餌をもらって、好きなように生きている。

でもこちらのことを全然気にしていないかと言えば、そんなことはない。
判断がうまいんでしょう、と言う。
営業部長のまるさんは、餌を要求する時、養老先生のところに来る。
それはもう、朝でも夜でも。

起きないと、枕元の棚に乗っているメガネを落とす。
それでも起きないと、時計も落とす。
餌をもらうと、寝る。

先生より、自分の方が立場が上だと思っている。
餌をくれるためにいるとでも、思っているように。
猫はなぜ、こんな気ままが許されるのか。

「子供の性質を残す形でペット化していったのが、猫なんです」。
「犬は社会的な動物だから人間社会の中にも溶け込むことができる」。
しかし、猫は個別的な生き物。
「人にくっつけるとしたら、親子関係しかなかったんでしょう」。

養老先生のところで飼っていたお猿さんが、子猫を気に入ってしまって離さなかった。
見た目が大きな目をしていて、保護欲を掻き立てる。
そしてフワフワとして、触っていて気持ちが良かったんでしょうと言う。

猫は人間に飼われるうち、なかなか大人にならなくなってきた。
子離れしないように、人になつくようになってきた。
猫と言う動物は、いろんな意味で完成されている。

無駄がない。
眠りを邪魔されても、それでも猫は飼いやすいと、先生は言います。
「要求して来るものが、少ないからね」。

しかし、どんなに子供の時期が長くなろうと、命ある者。
寿命がある。
養老先生は、家で飼った猫はすべて庭に埋めているそうです。

まるさんの前にいたチロちゃんは、元日に死んだ。
前日の大みそか、寒い中、頑として外に出て行こうとした。
高齢だったから歩けなくて、ヨロヨロしていても、這って出ようとした。

仕方がないから、娘さんが毛布を敷いた箱に入れて出した。
それが最期だった。
静かに逝きたかったのでしょう、と養老先生。

「それに対して、悲しんだり嘆いたりするのは人間側の思いです」。
「『死』って実は『知』なんですよ」。
自分と交流がなく、思い入れがない人。
つまり赤の他人が死んでも、普通は痛くも痒くもないと先生はおっしゃる。

「名前と顔を知っている人が死んでも、『あの人、亡くなったのね』と思う程度です」。
「『死』に意味がついて来るのは、『二人称の死』だけです」。
「それ以外の死には、一見あるように見えて具体性がない」。

二人称の死?
「『一人称の死』は、本人にはわからない」。
死んだ本人が悲しくても、嘆いていても、それはこちらにはもうわからない、確かに。
養老先生風に言うと「死の悲しみは、死んだ者とどれだけ親しかったかという思い」なんですね。

つまり「ペットの死の悲しみは、その動物とどれだけ親しかったかという人間側の思いです」。
「猫の方は、何とも思っていないかもしれない」。
「『だって毎日寝ているじゃない。ただ、目が覚めないだけだよ』って思っているかもしれない」。
「永遠の眠り、って言いますからね」。

『死』って実は『知』。
『死』に意味がついて来るのは、『二人称の死』だけ。
ペットの死の悲しみは、その動物とどれだけ親しかったかという人間側の思い。

このことを読んだ自分は、明らかに読まなかった前とは違いました。
悲しいこと、自分にとってはこの上なく悲しいこと。
でも、そういうことなんだ、と。
それも含めて、悲しい。

この上なく、悲しい。
でもこのことを知っているといないのとでは、違う。
いろんなものに対する理解と、許容が違ってくる。
去年、この言葉は私の心に沁み込みました。

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Comment

忘れていいんだよ、こっちは覚えているから…。
編集
こんばんは…おじゃまします。
『死』は『知』そして『感』であり『想』なのかも知れないな…なんて、柄にもなく考えてしまう養老先生の言葉ですね。
日常に『死』はあふれている…だけど、その『死』を身近に痛切に感じるのには『死』受け取る側に意味がある…いや、意味を作ってしまっているのかも知れない…。
人間とは、なんと“やっかいな生き物”なんでしょうね。
でも“やっかい”だからこそ、感じる喜びと想いの切なさが胸に残る…。
案外、それも悪くないかも…なんてのは、“やっかい者”の強がりでしょうか(笑)。

亡くなって、幾年過ぎた我が愛猫…“あちら”でゆっくりのんびり…もう、僕のことなどすっかり忘れているだろうな。
忘れてくれていいんだ…あの子を忘れられない“やっかい者”の強がりですけど。

それでは、また。
2017年06月28日(Wed) 21:46
キラさん
編集
>キラさん

こんにちは。
コメントありがとうございます。

>『死』は『知』そして『感』であり『想』なのかも知れないな…なんて、柄にもなく考えてしまう養老先生の言葉ですね。

私も考えてしまいましたねえ。
さすが養老先生だなと思いました。

>日常に『死』はあふれている…だけど、その『死』を身近に痛切に感じるのには『死』受け取る側に意味がある…いや、意味を作ってしまっているのかも知れない…。

その人、動物とどれだけ密接に関わったかが意味を持ってくる。
言われてみればそうだな、と思いました。

>人間とは、なんと“やっかいな生き物”なんでしょうね。

本当にいろんな感情、複雑な思いを抱きますもんね。

>でも“やっかい”だからこそ、感じる喜びと想いの切なさが胸に残る…。
>案外、それも悪くないかも…なんてのは、“やっかい者”の強がりでしょうか(笑)。

厄介な分、いろんな感情を持っていれば、いろんなことを感じます。
悲しい分、喜びもあるし、何かを見て豊かに味わうこともできる。
ちゃんとプラスマイナス、ゼロになるのかなと思うようになりました。

>亡くなって、幾年過ぎた我が愛猫…“あちら”でゆっくりのんびり…もう、僕のことなどすっかり忘れているだろうな。

覚えているかもしれませんよ!
キラさんが覚えているんだから。

>忘れてくれていいんだ…あの子を忘れられない“やっかい者”の強がりですけど。

不思議ですよね、あの子が幸せなら自分のことは忘れてても良いなんて思えるんですから。
見返りがなくても、あの子が幸せならそれで、って思えてしまう。
唯一の見返りは、あの子が示してくれる親しみ、愛情。
動物との関りって、不思議です。

コメントありがとうございました。
うっとうしい季節、お体には気を付けてお過ごしください。
2017年06月30日(Fri) 10:26












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