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西暦2000年に本物の二十歳になるんだから 「夏の夜の獏」

昔、子供が大人の恰好をしてギャングの世界を描いた「ダウンタウン物語」という映画がありました。
その中で、まだ子供のジュディ・フォスターの貫禄とセクシーさが、話題を呼びました。
大人の世界で過ごす時間が多い子役は、大人に移行する過程でかなり苦労するらしいです。
ジュディはその頭の良さもあって、大人から子供に移行するのに成功しました。

子供でいることを期待されながら、大人の中で過ごす。
大人の分別を期待される。
同世代の中で過ごす時間より長いと、子供の世界でどうしたらいいかわからない。
難しいんだろうな。

さて、この主人公は8歳の走次くん。
走次くんから見た世界を実写化するとしたら、「ダウンタウン物語」みたいになるのでしょうか。
早熟な子供から見た世界は、どんな感じなんだろう。

ほとんどの人が、年齢にふさわしくない精神年齢であると走次くんは思う。
精神年齢がそのまま、姿になれば世の中のほとんどは子供。
彼だけは大人。

彼からすれば、精神年齢と実年齢のバランスが取れているのは小箱さんだけ。
でもそれは、彼が小箱さんを好きだからなんでしょうね。
その小箱さんが帰れば、彼はおじいちゃんと2人だけで留守番。
だけどおじいちゃんはもう、彼とまともな会話にはならない。

おじいちゃんが眠ってしまえば、彼は静かな家に一人。
夕方の一人は寂しい。
それが子供なら、なおさら。

タイトル通り「夏の夜の獏」だからまだ、秋冬より日暮れは遅い。
それでもやっぱり、日暮れ時は寂しい。
この静けさが、僕を大人にしたのだと彼は分析する。

猫が老成する、悟りを開くのは早いと描写される。
それは猫が一人上手だからなんでしょう。
実際、猫は人の何倍もの速さで人生を駆けていく。

大人からすれば、彼は鼻持ちならない子供。
子供からすれば、彼は癇に障る奴。
彼は居場所がない。

その居場所のなさは、実は彼の家庭から来ていたということがわかってくる。
大人なんじゃない。
彼は大人の事情の中で、必死なんです。
子供なりに、懸命に適応しようとしているだけでした。

それが走次が失恋した瞬間に、破れる。
子供と思い込んでいたお兄ちゃんが、年相応の姿に戻る。
将来性がある愚か者と言われていたお兄ちゃんは大人。
彼はまだ、ただの小学生だった。

大人に庇護されながらでないと、生きていけない子供。
家族が揃っていてほしい子供。
でもその家族はもう、バラバラ。

父と母は離婚寸前。
その現実が、つらかった。
懸命に走次は、二十歳の分別で離婚阻止作戦をとっていた。

でもそんなものは、何もならなかった。
もう、最初から決まっていたことだった。
大人はそう、決めていた。

「山羊の羊の駱駝の」の雪子みたいに、走次も泣かなかった。
雪子も、走次も子供らしくいられなかった子供。
それが最後、泣くことで、感情を解放させる。

おじいちゃんがまだ元気だった頃、お母さんとお兄ちゃんと4人でハイキングに行った記憶。
この時から、お父さんは外れていたのだろうか。
でも走次は、お父さんにおみやげを持って行った。

この記憶と、最後のいつのまにか向かっていた、元の家の描写はきつい。
とても切ない。
ハイキングの時のように、一緒にいた頃の家族が蘇って来る。

子供が成長して、独立すれば、だいたいは夫婦2人になる。
そして、どちらかがいなくなれば、1人になる。
人間の人生の終わりもまた、野生動物と同じ。
切ないものです。

でもこの子にはまだ、そんなことはわからない。
わからなくていい。
ただ、家族は一緒にいるものだ。

この子はただ、自分を守っていただけだった。
大人にならなきゃいけなかっただけだった。
最後に家から走って行きながら、走次は泣く。

いいんだ。
12年後の西暦2000年に、僕は本物の二十歳になるんだから。
途端に、走次は子供に戻る。
この描写の見事さ。

僕は大通りを消防車のサイレンのように泣きながら、歩きながら、近未来の夢を見ていた。
大島弓子の感性は、素晴らしい。
今、走次くんは37歳?
彼が夢に見ていた近未来は、今、どうなのでしょうか。


大島弓子さんがこの作品について、次のように語っていました。
これは魔法で、主人公は周りに子供になる魔法をかけていた。
そしてちょっと、バカにしていた。

でも最後、兄と主人公が好きだった女性が愛をはぐくんで、その愛が魔法を溶かしてしまった。
そう考えると、ちょっと違った作品になりませんか、と。
やっぱり、大島弓子作品は深い。


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