こたつねこカフェ

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意味があるのは「二人称」の「死」 「四月怪談」

養老孟司先生は、「死」に意味があるのは「二人称」の「死」だけとおっしゃる。
赤の他人が死んでも、我がことのように悲しんだりしないと。
名前と顔を知っている程度の人が亡くなっても、「ああ、あの人、亡くなったんだ」と思うが嘆き悲しんだりしない。
一人称の「死」も、本人だから語れない。

「死」の悲しみは、その死んだ人とどれだけ親しかったかという思いなんです、と先生はおっしゃる。
先生は猫の死を悲しみましたが、猫の方は何とも思ってないかもしれないともおっしゃる。
この話は、「一人称の死」の話です。

人は自分のお葬式を想像して喜んだり悲しんだりするんだよと昔、言われました。
お葬式は、いろんなことが見えてくるんだよ、と。
突然、登校中の事故で死んでしまった初子。
事の重大さを実感することもできないまま。

だから、好きな人のところに言ってみる。
彼が自分のお葬式に来るのを想像して、ワクワクする。
どんな顔をするかと、期待する。

霊となった初子は奇々怪々な話をする夏山登のところに、「化けて」出てみる。
夏山には初子も、弦之丞も見えた。
普通の人と同じに見えた。

初子が死んだという知らせを受けた夏山が戻ると、初子がいない。
死んだなんて知らなくて、今、来てるよって言ったら怒られた。
幽霊話って、こういう状態なのでしょうか。

初子と弦之丞が、見える人には見えてしまっているところが、おかしい。
運転手さんには見えている。
タクシーの中で、運転手さんもお客さんも凍り付いている。
こちらもまた、幽霊話って、こういう状態なのでしょうか。

霊となった初子は空も飛べるし、何の制約もない。
行きたいところ、どこにでも行ける。
何でもできて、自由。
一見、とてもよく見える幽霊という状態。

でも物語が進むにつれ、初子は何でもできるようでいて何にもできないということがわかってくる。
やれそうでやれなかったことを初子はやってみる。
でもそういうものは生きて、肉体があるから意味があることだと弦之丞は言う。
本当にそうだった。

好きな人を前にしても、もうその人は自分とは関係のない世界にいるということもわかってくる。
それがわかったら戻れと弦之丞に言われる。
しかし、初子は戻ってきてしまった。

何にもない16年だったし、これからも何もないだろう。
だから、さようならで良いと言う初子に、弦之丞は泣く。
何と、自分の価値をわかっていないのだろう。
生きてるだけで、それは十分価値のあることなのだと。

弦之丞だって生き返って何か、壮大なことをする気持ちはない。
ただ、生きたい。
ここ、リアルだなあと思いました。

弦之丞の飛べないことも、不可能のことも、冴えないことも、みんなとりえなんじゃありませんかという言葉に初子は、少し傷つく。
でもそれは、ありのままでいいと言ってる。
最後に母も、そして夏山も、そう言ってくれる。

特別な人生じゃなくて、良い。
すばらしい才能がなくて、良い。
生きてくれてるだけで、意味がある。

だから弦之丞は、肉体を探すことをやめられない。
しかし斜めになってしまっている思春期の初子は言う。
「あたしの体、あげるからあなたが私になれば良いわ」と。

「そんな、霊道に反すること!」ではなくて、初子に人生はすばらしいと気づいてほしい弦之丞。
そんな斜めに構えた初子が一気に変わるのは、母の叫び。
おそらく、いつもは冷静な母の理性が吹っ飛んだ叫びを聞いて初子は驚く。
初子ちゃん、初子ちゃんと母が叫ぶ。

連れて帰る、連れて帰る。
大切な人を送る時って、本当にこういう気持ちでしょう。
母親の叫びに、胸が痛くなります。

そして理性的に自分を抑えているであろう、父親。
この時、初子にはわかったと思います。
自分が生きているだけで良いということ。
生きているだけで、人生には意味があると言うこと。

そこに夏山登のレンゲ。
この3人がいて、初子が生き返る時間が与えられた!
その時、初子は弦之丞も連れて生き返った。
初子の中で、弦之丞が生きている。

何でもないことへの感動は、初子のものでもあるが、弦之丞の喜びでもある。
初子の死を前にして、クラスの子たちも変わったはず。
何でもない日常って大切。
誰の命って大切。

映画「復活の日」でラスト、生きて戻って来た草刈正雄さんがつぶやきました。
「ライフ、イズ、ビューティフル」。
生きてるってことがもう、意味があること。
それが自体、奇跡なんだと。

この作品を読むと、そう思わされます。
インベーダーゲームが出て来るので、その頃、1978年頃の作品だと思いました。
そこはさすがに時代を感じますが、その他のところでは古いと感じません。

知らなかったのですが、映画にもなっているみたいですね。
「戦後最大のラブストーリー」が入るところが少女マンガといえば少女マンガ。
しかし大島弓子の作品って、絵柄に抵抗がなければ男女問わないと思います。

さて、養老孟司先生は猫の死を悲しみました。
でも、猫の方は何とも思ってないかもしれないとおっしゃる。
だって猫って機能的にも無駄がない、実に良くできた生物だから。
そして、猫はこんな風に思ってるかも、とおっしゃる。

『だって毎日寝てたじゃないか。ただ、目が覚めないだけだよ』って。
「永遠の眠りって言いますからね」。
…それ聞いた自分は救われるような。
いや、やっぱり、切ないなあ。


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