今も昔もサバイバル 「小野田寛郎の終わらない戦い」 その2
2009.01.15 (Thu)
小野田さんが上陸して3日目。
アメリカの大艦隊が西から現れた。
圧倒的物量のアメリカ軍はルソン島に上陸、小野田さんは弾薬や食糧を山中に運ぶことを主張したが、
「敵が来たら潔く斬り込んで玉砕することこそ本望」と言う将兵たちからバカにされる。
日本を生き残って守る為なら共産主義でも受け入れよ、という小野田さんとは合うわけがなかった。
ルソン島が攻撃されて2ヵ月後の昭和20年2月、ルバング島も攻撃される。
部隊の160人は4日で死に、残ったのは40数人。
日本への空爆が始まっていた。
それからまた2ヵ月した4月、小野田さんはジャングルに潜んでいた。
脇には2人の部下がいた。
その4ヵ月後の8月15日、戦争は終わった。
敗戦から2ヶ月経った10月、敗残兵に投降を呼びかけるビラが撒かれる。
しかしビラは部隊の名前が間違っており、言葉遣いがおかしかった。
このビラを謀略と思った小野田さんは以後、一切のビラを信じなかった。
だがかろうじて生き残っていた兵隊は次々、投降して行った。
戸井「どう思いました?」
「しかたないなって。捕虜になって命があるだけマシじゃないかって思いました。
彼らにはもう弾丸さえなかった。
それに元々戦闘員じゃないんだから、捕虜になって命を繋いだ方がいいと思いました」。
戸井「必ず反撃が始まると思っていた?」
「そう言われて送り出されていますから。この戦争は百年続くと。
日本が占領されることまでは、織り込み済みだったんですから。
だけど完全に負けたとは知らなかった。
でもね、投降していった兵隊が小野田は敗戦を知っていると報告してるんです。
それで日本政府は小野田は敗戦を知っていて、出て行くのが怖くて逃げ隠れしていると思ってしまった。
全然違うんです、僕は戦争が続いていると信じていたし、任務を全うしようと思っていただけです。
そんな人間に『怖がらずに出てきなさい』って言うのは、神経を逆撫でするだけなんです」。
サバイバル生活は、年は上だが階級は下という、島田伍長と小塚一等兵という2人の部下を連れて3人で始まった。
最初の3年間は苦しかった。
小野田さんの耳は遠い。
地べたで寝ていて、蟻が入ってきて鼓膜を食い破った為だと言う。
耳栓をすればよかったのだが、寝ている間に音が消えるのが怖かった。
地図一つないから、地形もわからない。
食べ物、水がある場所、いつ頃にどこの何の実がなるかわかるようになるまでは3年かかった。
地形が頭に入ると、どこで敵と遭っても逃げ道がわかるので自信がついてくる。
5年経つと、ジャングルの中を自由に動き回れるようになった。
どんな角度でどんな歩き方をすれば、いつ目的地に着くか計算もできる。
その頃、ルバング島では、小野田さんたち敗残兵を討伐する部隊がアメリカ軍からフィリピン軍に移行していた。
小野田さんは自分の守っている地域に兵隊が入ってくれば、闘った。
後でわかるが、フィリピン軍は130回も日本兵の討伐軍を出していた。
戸井「小野田さんの弾が当たったと実感したことはありますか?」
「当たらない弾は撃たない。命中しない弾は相手に自分の位置を教え、かつ侮られる」
戸井「何人かは小野田さんの撃った弾で死んでる?」
「自分の身を守る為には銃を持ってきた相手に遠慮していては守れない。向こうも殺しに来ているんだから。
確かに相手の顔を見ると撃ちづらいですよ。
相手が自分に気がつかないで通り過ぎれば、撃ちません」
戸井「戦争中と思っていたからでしょうが、後から知って後悔とか寝覚めが悪いということはないですか?」
「ないです」
「男が男を殺すのは、昔からなんでしょうね。
機関士になった友達が言ってましたよ、これが女子供だったらそうはいかない。
何年経っても忘れられないってね」。
(戸井:私はこの時だけ、目の前にいる80過ぎの老人が怖くなった)。
島に来てから5年後、朝鮮戦争が始まった。
小野田さんは日本の反撃が始まった、と思った。
朝鮮戦争が終わった昭和29年5月、島田伍長が討伐隊との銃撃戦で死亡。
これにより、日本兵の生存が確認され、日本政府も動いた。
小野田さんと小塚一等兵の兄弟が書いたビラが撒かれた。
しかし、2人はそれも謀略だと思っていた。
その後、ベトナム戦争が始まったのを見て、戦線が南へ移動して行っていると思った。
アメリカが次々戦争していったから、教えられたとおりに日本が闘っているのだと思った。
「日本がアメリカに占領されたのは知っていた。
でもそこにあるのは傀儡政権で、平和だ、復興だと言ってるけど僕には関係ない話のこと。
正当な日本はどこかにあって、必ず盛り返してくると信じていた。
ルバングから帰った今も、正直言って今の日本には違和感がある」。
昭和47年1月、グアム島から横井庄一さんが帰還。
その年の10月、小塚一等兵がフィリピン警察との銃撃戦で死亡。
鈴木紀夫という青年がルバング島にやってきたのは、昭和47年の2月だった。
この鈴木青年、東南アジアを旅してきて、東南アジアの人の中に溶け込むのがうまかった。
「自分なら小野田さんと接触できるんじゃないだろうか」と思った。
親から戦争の話は聞いていたが、実感がなかった。
「そうだ、今も戦争をしている人から聞くのが一番いい!」
そう思った鈴木青年はルバング島へ行った。
そして鈴木青年は最終的に、小野田さんとの接触に成功し、小野田さんに遭った鈴木青年は、「戦争はもう終わりました」と告げることになる。
しかし小野田さんは「俺にはまだ、戦争は終わっちゃいねえ!」と怒鳴る。
鈴木青年は小野田さんにタバコを勧める。
「お、久しぶりだな」とタバコを吸った小野田さんに、鈴木青年は心情を聞く。
小野田さんは気を許したのか、いや実はいつでも殺せると思っていたらしいが「よし、話をしよう」と言って鈴木青年を連れて行った。
鈴木青年が話した小野田さんは、イメージしていた軍人とは全然違っていた。
小野田さんは万博のことも、公害のことも知っていた。
「俺は自由主義者だよ」と言っていた。
鈴木青年は小野田さんが好きになってきた。
一方の小野田さんは鈴木青年のことを
「あっけらかんとしていて悪気がない。でも心の底ではどこかでは、軍の紐がついていると思っていた」。
鈴木青年が「どうやったら降りてきてくれますか?」と聞くと、小野田さんは「兵隊ってのは山下泰文将軍の命令だろうと、上官の命令がなければ動けねえもんなんだ」と言った。
「上官の命令があれば降りてきてくれますね」と確認した鈴木青年は小野田さんの写真を撮り、再会を約束して別れた。
昭和49年3月9日、鈴木青年は厚生省の役人と小野田さんの元上官・谷口少尉、小野田さんの長兄と一緒にやって来る。
まず谷口少佐と鈴木青年の手紙、小野田さんの写真をジャングルの要所、要所に置く。
少佐と鈴木青年がいるテントに小野田さんがやって来て、直立不動の姿勢をとる。
「命令受領に参りました」。
敗戦から29年と3ヶ月、小野田さんの戦争は終わった…。
終わった…のですが…。
帰国後の記者会見で、小野田さんは新聞記者たちに聞かれる。
「人生の最も貴重な時期である30年間をジャングルで過ごされたわけですが、この30年をどう考えておられますか」。
「若い、一番意気盛んな時期を、全身を打ち込んでやれたことは幸せだったと思う」。
済んだことは済んだこと。
愚痴を言えば、前に進む力がなくなるだけ。
30年を無駄に過ごしたと思われているけど、無駄なんかじゃない。
知恵が付いたし強くなった。
結局は自分がどう使うか、無駄と思えば無駄になるだろう。
そう思う小野田さん。
耳がほとんど聞こえないのに、人の気配を感じる小野田さん。
検査入院させられた時も、看護師が来る前に目が覚めてドアの方を見てしまっている小野田さん。
そんな小野田さんが1970年代の日本に帰ってきて、どうなったか。
小野田さんに新たな、ルバング島より精神的にはきつい「日本という戦場」が待っていて、そこでのサバイバルが始まったのでした。
アメリカの大艦隊が西から現れた。
圧倒的物量のアメリカ軍はルソン島に上陸、小野田さんは弾薬や食糧を山中に運ぶことを主張したが、
「敵が来たら潔く斬り込んで玉砕することこそ本望」と言う将兵たちからバカにされる。
日本を生き残って守る為なら共産主義でも受け入れよ、という小野田さんとは合うわけがなかった。
ルソン島が攻撃されて2ヵ月後の昭和20年2月、ルバング島も攻撃される。
部隊の160人は4日で死に、残ったのは40数人。
日本への空爆が始まっていた。
それからまた2ヵ月した4月、小野田さんはジャングルに潜んでいた。
脇には2人の部下がいた。
その4ヵ月後の8月15日、戦争は終わった。
敗戦から2ヶ月経った10月、敗残兵に投降を呼びかけるビラが撒かれる。
しかしビラは部隊の名前が間違っており、言葉遣いがおかしかった。
このビラを謀略と思った小野田さんは以後、一切のビラを信じなかった。
だがかろうじて生き残っていた兵隊は次々、投降して行った。
戸井「どう思いました?」
「しかたないなって。捕虜になって命があるだけマシじゃないかって思いました。
彼らにはもう弾丸さえなかった。
それに元々戦闘員じゃないんだから、捕虜になって命を繋いだ方がいいと思いました」。
戸井「必ず反撃が始まると思っていた?」
「そう言われて送り出されていますから。この戦争は百年続くと。
日本が占領されることまでは、織り込み済みだったんですから。
だけど完全に負けたとは知らなかった。
でもね、投降していった兵隊が小野田は敗戦を知っていると報告してるんです。
それで日本政府は小野田は敗戦を知っていて、出て行くのが怖くて逃げ隠れしていると思ってしまった。
全然違うんです、僕は戦争が続いていると信じていたし、任務を全うしようと思っていただけです。
そんな人間に『怖がらずに出てきなさい』って言うのは、神経を逆撫でするだけなんです」。
サバイバル生活は、年は上だが階級は下という、島田伍長と小塚一等兵という2人の部下を連れて3人で始まった。
最初の3年間は苦しかった。
小野田さんの耳は遠い。
地べたで寝ていて、蟻が入ってきて鼓膜を食い破った為だと言う。
耳栓をすればよかったのだが、寝ている間に音が消えるのが怖かった。
地図一つないから、地形もわからない。
食べ物、水がある場所、いつ頃にどこの何の実がなるかわかるようになるまでは3年かかった。
地形が頭に入ると、どこで敵と遭っても逃げ道がわかるので自信がついてくる。
5年経つと、ジャングルの中を自由に動き回れるようになった。
どんな角度でどんな歩き方をすれば、いつ目的地に着くか計算もできる。
その頃、ルバング島では、小野田さんたち敗残兵を討伐する部隊がアメリカ軍からフィリピン軍に移行していた。
小野田さんは自分の守っている地域に兵隊が入ってくれば、闘った。
後でわかるが、フィリピン軍は130回も日本兵の討伐軍を出していた。
戸井「小野田さんの弾が当たったと実感したことはありますか?」
「当たらない弾は撃たない。命中しない弾は相手に自分の位置を教え、かつ侮られる」
戸井「何人かは小野田さんの撃った弾で死んでる?」
「自分の身を守る為には銃を持ってきた相手に遠慮していては守れない。向こうも殺しに来ているんだから。
確かに相手の顔を見ると撃ちづらいですよ。
相手が自分に気がつかないで通り過ぎれば、撃ちません」
戸井「戦争中と思っていたからでしょうが、後から知って後悔とか寝覚めが悪いということはないですか?」
「ないです」
「男が男を殺すのは、昔からなんでしょうね。
機関士になった友達が言ってましたよ、これが女子供だったらそうはいかない。
何年経っても忘れられないってね」。
(戸井:私はこの時だけ、目の前にいる80過ぎの老人が怖くなった)。
島に来てから5年後、朝鮮戦争が始まった。
小野田さんは日本の反撃が始まった、と思った。
朝鮮戦争が終わった昭和29年5月、島田伍長が討伐隊との銃撃戦で死亡。
これにより、日本兵の生存が確認され、日本政府も動いた。
小野田さんと小塚一等兵の兄弟が書いたビラが撒かれた。
しかし、2人はそれも謀略だと思っていた。
その後、ベトナム戦争が始まったのを見て、戦線が南へ移動して行っていると思った。
アメリカが次々戦争していったから、教えられたとおりに日本が闘っているのだと思った。
「日本がアメリカに占領されたのは知っていた。
でもそこにあるのは傀儡政権で、平和だ、復興だと言ってるけど僕には関係ない話のこと。
正当な日本はどこかにあって、必ず盛り返してくると信じていた。
ルバングから帰った今も、正直言って今の日本には違和感がある」。
昭和47年1月、グアム島から横井庄一さんが帰還。
その年の10月、小塚一等兵がフィリピン警察との銃撃戦で死亡。
鈴木紀夫という青年がルバング島にやってきたのは、昭和47年の2月だった。
この鈴木青年、東南アジアを旅してきて、東南アジアの人の中に溶け込むのがうまかった。
「自分なら小野田さんと接触できるんじゃないだろうか」と思った。
親から戦争の話は聞いていたが、実感がなかった。
「そうだ、今も戦争をしている人から聞くのが一番いい!」
そう思った鈴木青年はルバング島へ行った。
そして鈴木青年は最終的に、小野田さんとの接触に成功し、小野田さんに遭った鈴木青年は、「戦争はもう終わりました」と告げることになる。
しかし小野田さんは「俺にはまだ、戦争は終わっちゃいねえ!」と怒鳴る。
鈴木青年は小野田さんにタバコを勧める。
「お、久しぶりだな」とタバコを吸った小野田さんに、鈴木青年は心情を聞く。
小野田さんは気を許したのか、いや実はいつでも殺せると思っていたらしいが「よし、話をしよう」と言って鈴木青年を連れて行った。
鈴木青年が話した小野田さんは、イメージしていた軍人とは全然違っていた。
小野田さんは万博のことも、公害のことも知っていた。
「俺は自由主義者だよ」と言っていた。
鈴木青年は小野田さんが好きになってきた。
一方の小野田さんは鈴木青年のことを
「あっけらかんとしていて悪気がない。でも心の底ではどこかでは、軍の紐がついていると思っていた」。
鈴木青年が「どうやったら降りてきてくれますか?」と聞くと、小野田さんは「兵隊ってのは山下泰文将軍の命令だろうと、上官の命令がなければ動けねえもんなんだ」と言った。
「上官の命令があれば降りてきてくれますね」と確認した鈴木青年は小野田さんの写真を撮り、再会を約束して別れた。
昭和49年3月9日、鈴木青年は厚生省の役人と小野田さんの元上官・谷口少尉、小野田さんの長兄と一緒にやって来る。
まず谷口少佐と鈴木青年の手紙、小野田さんの写真をジャングルの要所、要所に置く。
少佐と鈴木青年がいるテントに小野田さんがやって来て、直立不動の姿勢をとる。
「命令受領に参りました」。
敗戦から29年と3ヶ月、小野田さんの戦争は終わった…。
終わった…のですが…。
帰国後の記者会見で、小野田さんは新聞記者たちに聞かれる。
「人生の最も貴重な時期である30年間をジャングルで過ごされたわけですが、この30年をどう考えておられますか」。
「若い、一番意気盛んな時期を、全身を打ち込んでやれたことは幸せだったと思う」。
済んだことは済んだこと。
愚痴を言えば、前に進む力がなくなるだけ。
30年を無駄に過ごしたと思われているけど、無駄なんかじゃない。
知恵が付いたし強くなった。
結局は自分がどう使うか、無駄と思えば無駄になるだろう。
そう思う小野田さん。
耳がほとんど聞こえないのに、人の気配を感じる小野田さん。
検査入院させられた時も、看護師が来る前に目が覚めてドアの方を見てしまっている小野田さん。
そんな小野田さんが1970年代の日本に帰ってきて、どうなったか。
小野田さんに新たな、ルバング島より精神的にはきつい「日本という戦場」が待っていて、そこでのサバイバルが始まったのでした。
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